【臥竜遊戯】−奥の細道−

■キャンペーンシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:7〜13lv

難易度:難しい

成功報酬:18 G 69 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月27日〜07月02日

リプレイ公開日:2006年06月05日

●オープニング(第2話リプレイ)

 風が騒ぐ。
 白く連なる峰を越えて吹き颪す大気のうねりは萌え始めた緑を揺るがし、雪下の眠りより醒めて間もない沃野を突き抜けて海へと奔る。
 時に、人の営みをも薙ぎ倒す形なき力は、緩やかなる泰平を覆さんと波立つ時勢の気運にもどこか似て‥‥。

「申し上げます」

 地の底、陽の射さぬ陰より湧いて出た声に、急勾配の頂に建つ山城にて緑立つ平地を睨下する男は、わずかに顎を引くことで沈黙をもって先を促した。

「彼の者等、矢吹より二手に分かれ、尚、行脚を続ける模様」

 帰郷を促す恫喝程度の襲撃では、退かぬ。
 並々ならぬ豪の者が揃っているのか、あるいは、退くわけにはいかぬ理由があるのか。いっそ愚かしいまでの直向さが、北を‥‥平泉を目指す彼らの真意を垣間見せてしまうのだけれど。

「蕉翁師弟は、物見遊山の外聞を崩さぬ腹か――」

 先を急ぐ風もなく、名所、史跡にて足を止め、逗留先の心得者の求めに応じて句を披露することもあるという。

 永らくの安定は、そこに生きる人の心にも余裕をもたらし、
 天下にその名を知られる俳聖の名は、その後背を拝む者たちの姿を借りて襲撃者よりの盾となった。

「‥‥殊更、名を挙げて見せるのも、策のひとつやも‥」

 隠し切れぬ名ならば、いっそ――

 高名を囮として、本命を生かす。
 あるいは、さらにその裏をかき泰然を装っているのかもしれない。

 途上で道を分けた随行者たちにも、人目を忍ぶ風はないという。――むしろ、日のある内は街道にて距離を稼ぎ、夜は野営を避けて宿に泊まるという旅慣れた様子で追撃の手を鈍らせていた。

「昼間の街道筋といえば、無論、人目もございます。‥‥彼の者たちも攻めあぐねている模様」

 孤立無援の敵地といっても過言ではない土地ではあったが、そこに暮らす者の全てが敵ではない。
 揺るぎない泰平を信じて日を送る働き者で善良な農民が殆どである。――平和だとされるこの地では、野盗、山賊の凶行を装うには限界があった。

「なるほど。堪えきれば彼奴等の勝ちということか。‥‥だが‥」

 平泉へは、まだまだ遠い。
 思案にも似た太い笑みを口元に刻んだ漢に、声は淡々とその観測を摘み取る。

「いえ。直接、平泉を目指すのではなく、霊山城へ――」
「ほぉ。霊山‥!」

 は、と。
 思わず吐き出された笑声には、心底、愉快そうな色が宿った。
 芽吹いたばかりのやわらかな青葉に飾られた城下に今いちど視線を投げて、漢は勢い良く踵を返す。

「馬を引け! 平泉へ参じる!!」


●霊山城
 天を突き刺して聳える断崖の奇岩怪石をぽかんと見上げ、ロゼッタ・デ・ヴェルザーヌ(ea7209)は言葉を失くす。

「‥‥あれが、霊山‥?」

 どこか神秘的な匂いのする文字を当てる地だと思っていたのだけれど。
 おそろしく険阻な岩山は、城というより要塞といった趣が強いかもしれない。――攻めるための拠ではなく、守るための城だ。

「まさに絶景、だな‥」

 地上からほぼ垂直に立ち上がる黒い火山岩の岩壁を彩る淡い緑に、野乃宮霞月(ea6388)も吐息を落とした。決して平坦ではない道を文字通り切り開いてきた目には、どこか拒絶されているような心細さも確かにあって――
 ひとまずの目的地を目の前にした安堵と、先行きの不穏がない混ぜになって胸に飛来する。
 大任を背負ったことで、先を急く心とは裏腹に。追っ手の目を逸らせるために道を分った蕉翁と大久保の負担を減らす為に、こちらも漂泊を装い、物見遊山の旅を演じる。
 寺があれば立ち寄り、町を覗いて奥州の世情をうかがい。
 隙を見せれば牙を剥こうと付きまとう追撃者の影にも、絶えず気を張って‥‥
 江戸を発った時より、尋常な旅ではないと予想はできた。
 だが、その覚悟を遥かに上回る極限の不穏と緊張が積み上げていく疲労は、思った以上に体力と精神力と削り取っていく。
 そして、ようやく辿りついたその城は――彼らが目指す壮大なる結末へと続く第1の扉でしかなかったけれど――確かに未来へ繋がる扉であるように思われた。
 縫い込んだ書状の存在を頼り、無意識に着物の襟に手をやった木賊真崎(ea3988)も託された使命の重さに強く奥歯を噛み締める。

 江戸の総命を活かすも殺すも、
 この書状‥‥引いては彼らの挙動に全てが掛かっている。

 ともすれば、深く沈みがちになる思考を断ち切ったのは、明瞭な犬の鳴き声だった。
 これまでの旅で何度も彼らに危険を報せ、勇気を与えてくれたその声も、今はどこか嬉しげで。
 顔を上げれば、陸潤信(ea1170)と叶朔夜(ea6769)

のふたりがちょうど斥侯より戻ってくるのが目に入る。その顔色にも、精彩が戻ったようだ。

「急げば今日中に霊山に入れそうだ」
「道は?」

 鑪純直(ea7179)の問いにも先の見えた明るさが籠もる。

「聞いてきた。霊山城に入る道は幾つかあるが、馬が通れるのは1ヶ所だけだそうだ」
「そこが正念場か‥」

 馬を連れている以上、その道を通るしかない。
 馬廻りの身には分不相応にも見える《霞刀》を強く握り締めた鑪に、叶は思慮深げに首をかしげた。

「霊山城下は、もう北畠公の直轄だ。――奥州将軍の膝元で、騒ぎを起こすとは考えにくい気もするが」

 それもそうだ、と。
 ちらりと笑い、ふと思いついて鑪は自らの姿を検める。

「北畠公と対面する前に、衣を改めることはできるだろうか?」

 北畠氏といえば、神皇家を祖とする公家の名門。
 さすがに馬廻りの形のままでの対面は、失礼かもしれない。――仮に、そういった体面にこだわらぬ人であっても、鑪にだってそれなりに見栄というものがあるのだ。


●北の公達
 ずいぶん華やかな経歴の持ち主であると思う。
 あるいは、貴族というのは大概にしてそういうものなのだろうか。
 ロゼッタと肩を並べて謁見の場となった霊山寺の境内を歩きながら、奥州将軍・北畠顕家という人物についての情報を集めていた陸は思わず吐息を落とした。
 権中納言家の嫡子として生まれ、14歳で参議、左近衛中将に任じられて殿上人に。
 16歳で奥州将軍としてこの地にやってきたのだという。――宮廷内の権力闘争から距離を置くことで、見えたものがあるのだろうか。今も、陸奥の守・藤原秀衡麾下の将として奥州にある。
 この公卿将軍は、城下の者たちには人気があった。
 若くて都の香りのする公達であるから当然といえば、当然のような気もするが。――遙任を善しとせず、都から見れば地の果てのような場所へやってきたのだから、あるいは潔い人なのかもしれない。

「大久保様は『奥州在来の武将とはそのあり方を異にしている』って、仰ってましたわよねぇ」

 それは、どういう意味なのだろう。
 異邦人であるロゼッタや陸には、奥州に限らず日本における武家の在り方がいかなるものであるのかはよく分らないのだ。
 公家、あるいは、武家と。
 言葉では明確に分けているのだから、それに基するものがあるはずなのだが。――その線引きを見つけられないロゼッタだった。

「一般論とは逆の姿勢を取りたいということでしょうか?」
「‥‥それじゃ、単なる天邪鬼だ‥」


●国の在り様
「豊かだな」
 何気なく落とされた野乃宮の呟きは、木賊の心にも深く落ち着く。
 豊かで、そして、穏やかだ。
 要塞でもある霊山城を廻ることは叶わなかったが、その城下やここに至までの道中立ち寄った町を見れば判る。
 山地が多く、気候も厳しい。
 江戸や東海道のあたりと比べれば、技術的には遅れていそうだ。――それでも、禾倉には備蓄で満たされ、馬も、武器も不足ない。
 何よりも。
 この地では、誰も街道を行く騎馬や兵士の姿に不安げに顔を曇らせたりはしないのだ。
 百年をかけて、奥州が手に入れたもの。
 その時の長さを思い知る。

『‥‥ば、奥州に野心を抱く者はなくなる‥』

 遠い記憶を手繰りよせ、鑪は胸に支える棘に気づいた。
 誰かがそんなことを言った気がする。
 野乃宮もまた、昨冬の大火の折、謀略のひとつを止めるべく奔走した従姉妹の言葉を思い出して眉をしかめた。

 平泉へたどり着くことができたなら――
 奥州を理想郷だと信じてやまないあの野疾に会うことができるのだろうか――


●奥州将軍
 忍び込んだ天上裏から、叶は北畠顕家なる人物を眺め下ろした。
 木賊、野乃宮、鑪の3名と対峙する奥州将軍は、その高位からすれば驚くほど若い。――せいぜい叶と同年かそこら。将軍職を任じるだけあって貴族的な脆弱さを感じさせない白皙の美丈夫である。
 御前にて陵王舞を披露するほどの名手であったと噂を聞いた。
 その覇気と圭角で他を圧倒する独眼竜を《動》だとすれば、この漢は《静》。冷たい水を湛えた深淵のような、静かな‥‥それでいて、揺ぎない強さが秘めた人物だと思う。

「先ずは目通りをお許しいただいたこと。御礼申し上げる」

 鞘を掴んだ右手を左手で押さえ――利き手で鞘を持つことで抜かぬ意思、さらにその手を聖なる手とされる左手で封じるという最上級の礼を尽くしてた木賊に、顕家は軽く会釈してみっつ置かれた床机を差した。
 3人が音を立てぬよう注意深く腰を下ろすのを見届け、若い公卿武将はおもむろに口を開く。

「源徳公よりの使者だと聞き及んだが、その言、相違ないか?」
「相違ございません。――ここに書状を預かっております」

 大久保より託された書状を証し、木賊はそれを目の前高さに掲げて差し出した。
 本来ならば、陸奥の守以外に見せるべき物ではないのだが‥‥あえて書見を許す事で相手を陸奥の守と同列に扱い、重視しているのだとほのめかす。
 書状を受けようと動きかけた近習を視線で制し、顕家はその口元にほのかな笑みを浮かべた。

「その書状は源徳公より陸奥の守様に託されたもの。陸奥の守様にお渡しするが筋であり、其許の役目というもの」
「‥‥よろしいのですか?」

 よい、と。
 明瞭な答えが返る。
 さすがに反応に迷い、戸惑い気味に書状を下げた木賊と、隣席にて視線を交わした野乃宮、鑪を順に眺めて、顕家はゆっくりとタネを明かした。

「実は、其許等を待っていた」
「「「えっ??」」」

 危うく床机から腰を浮かせそうになり、野乃宮は慌てて両の手で膝を抑え、口を突いた声を押さえる。

「白河を越えてよりの其許等の動きは掴んでいたのがまずひとつ。――伊達政宗殿より使者が参った」

 源徳よりの使者を名乗る者が霊山城に辿りついた暁には、その者たちを平泉へ送り届けてほしい。
 伊達家の使者は、そう告げてきたのという。
 
「確かに。あの者の真意がどこにあれ、対話の機会は逃すべきではないと思う」

 自力で建つ力を持つ自力で起つ力量持つ奥州が、江戸と上州の諍いに手を貸すに利は無い。むしろそれに乗じて、双方を攻め落とせる位置にある。――だからこそ、源徳も捨て置くわけにはいかないのだ。

「‥‥僭越ながら、北畠卿は他の武家とは異なり神皇家に近しきお方。今上様の叔父上に当たる源徳侯へのご助力には特別な意味がございましょう」
「確かに。形だけを見れば、其許の言は理に適う」

 木賊の言に深く首肯したものの、公卿にありながら将軍の地位を持つ漢は静かに水をさす。

「たかだか武蔵国を治めるにすぎぬ武家の血が神皇家に入り、その年端ない童が他を押しのけて帝位にあるコト。その過程に、漠然とした歪みを感じる」

 歪みより生まれた理に、正道はあるのだろうか?

 都の権力闘争より遠く離れた地にあって初めて見えてくる歪みなのかもしれないし、政にも嘴を挟みはじめた武家の台頭を快く思わない公卿の驕りなのかもしれない。あるいは、若さゆえの潔癖さであるようにも思えた。――思いがけない返答は、対面した三人だけでなく屋根裏部屋にて仔細を耳にした叶の胸にも波紋を投げる。

「この騒乱の風をいかように治めるか。その見届け方を決めるのは陸奥の守殿の裁量となろう」

 平泉までの道の平坦は、この顕家が保証する。
 後は、その目、その心にて奥州の声を聞かれるがよい。――開かれた扉の向こうから姿を顕したのは、尚も厳しく長い道のりだった。
 この道が続く未来を選び取る任を託されたのは‥‥

 果てしなく、そして、あまりにも重い未来に眩暈がした。

●今回の参加者

 ea1170 陸 潤信(34歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea3988 木賊 真崎(37歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea6388 野乃宮 霞月(38歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 ea6769 叶 朔夜(28歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea7179 鑪 純直(25歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea7209 ロゼッタ・デ・ヴェルザーヌ(19歳・♀・ウィザード・エルフ・イスパニア王国)

●リプレイ本文

 田植えが始まっているのだろう。
 水を張った田に出て働く人々の小さな影を遠目に眺めて、野乃宮霞月(ea6388)は目を細めた。
 道の遠さを。そして、国の広さを改めて思う。――江戸や京のあたりなら、健やかに育った苗が、田を渡る風に葉裏の銀をそよがせている頃だ。
 それまでの戦乱を生き抜いた藤原清衡が北上川の畔においた新しい都に求めたのは、「争いのない仏国土」であったという。
 以来、二代・基衡、三代・秀衡が紡ぐ泰平の下に、平泉は都の文化を受容しながらも独自の文化を花開かせた黄金の都となった。
「‥‥わぁ‥」
 聳え立つ断崖に囲まれた霊山城のストイックなまでに険阻な雰囲気から一転、京の朱雀門を思わせる巨大な朱塗りの門を前にロゼッタ・デ・ヴェルザーヌ(ea7209)は、声を上げる。
「確かに、すごいな」
 祖国の大都にもどこか通じる匂いを持つ都の姿に陸潤信(ea1170)も、素直に感嘆を落とした。
「毛通寺南大門と申しまして。南より平泉入る者が最初に目にする門にございます」
 引綱を持つ馬廻りが誇らしげに、首を傾けてそれを伝える。
 毛通寺だけでなく、平泉という都の入り口であることを意識して作られた門なのだろう。いかにも壮大できらびやかな大門だ。
 その門の前に立つ2つの人影に、木賊真崎(ea3988)は心音が飛び跳ねるのを自覚した。途切れた雲間から光が差し込んだかのように、視界がひらける。
「蕉翁殿! 大久保殿!!」
 軽く手を挙げて呼びかけた叶朔夜(ea6769)の声もまた、ゆっくりと傾き始めた太陽の下で弾んだ。
「ご無事だったのですね」
 追撃者の目を逸らせるために道を分った依頼主の消息は、活路の開けた冒険者たちの心に使えた最も大きな心配の種だった。
 奥州将軍の一行に伴われての北上は、安全ではあったが自由が効かない。
 土地に暮らす人々の生活の様子や、田畑の現状、山野の風景など。
 目に見えるもの、あるいは、奥州が誇るモノについては護衛の者たちは気さくに質問にも応じてくれたが――例えば、物見遊山に漂泊する蕉翁とその弟子の消息や噂については、首を傾げる者が多かった。
「でも。本当によくご無事でしたね」
 再会を果たした安堵に、ロゼッタもその育ちのよさ気な表情に笑みが浮かぶのを止められない。
「蕉翁さんてば、実は凄い猛者だったとか」

 ついついそんな冗談も飛び出してしまうほど。
「ほほ。昔取った杵柄と申しましてな。――まだまだ若い者に負けるわけにはまいりません」
 日本には、見て回りたい場所が沢山あるのだから。
 滑らかに返された言葉もどこまでが冗談なのか。――それでも、そんな会話が交わせることを鑪純直(ea7179)はそっと仏に感謝した。
「再会に水を差すのは心苦しいが。‥‥よろしいか?」
 かけられた穏やかな声は、彼等に課せられた使命を思い出させる。
 いつの間に現れたのか、官服に身を包んだ下官が馬から下りた奥州将軍と肩を並べて立っていた。
「伊達殿は既に《平泉の舘》にお入りになっているそうだ。陸奥の守様も皆の到着をお喜びであるとか」
 今夕にでも、宴の席を借りて会談の場が用意される。
 恭しく頭を下げて口上し、下官はついと大門へと手を差し伸べた。
「ひとまずは加羅御所へご案内申し上げたいのですが」
「あ〜、いや‥」
 別に、伏魔殿だと思っているわけではないのだけれど。
 それでも、敵地に乗り込む心境には違いなく。できれば、もう少し心の準備――情報を交換する時間が欲しい。
「ここまで連れて来ていただいておいて申し訳ないのだが。宴の時間まで、もう少し平泉を見て回っても構わぬだろうか?」
 仏国土だと自負するだけのことはあって、平泉には毛通寺や中尊寺、無量光院など仏教寺院・浄土庭園が数多い。――純粋に規模や大きさだけを比べれば、京にある仏閣よりも大きいと聞いていた。
 僧籍にある野々宮が言えば、それほど不自然にも思われまい。
 野乃宮の言葉に、下官は少し困ったように傍らに立つ北畠顕家を仰いだ。その顕家も僅かに眸を見開いたもの、さほど間を置くことなく首肯する。それを確かめ、下官はふたたび深く頭を垂れた。
「‥‥そうですか。今の時刻なら無量光院が美しいかと」
 それでは、と。
 随従を従えて踵を返した奥州将軍の姿勢の良い後姿に、鑪は想いを堰き止めていたモノが弾ける音を胸の裡に聞いた。
「お待ちください!」
  そう言ってしまってから、鑪は自分が声を発ししたことに気づく。
 今まで気にかけながらも言えずにいたが、この機会を逃せばきっと口にする間もなく終わる気がした。
「北畠卿は、亘理青葉なる人物をご存知でしょうか?」
「‥亘理‥‥?」
 顕家は僅かに目を細める。
 記憶を探るように動いた表情を注意深く伺いながら、鑪は先を続けた。
「江戸で知己を得た奥州の者にございます。――陸奥の守様に縁があるような事を申しておりましたので、この機会に再会を果たせれば、と。ご存知なら、拙者がこの地に居る事をお伝えしていただきたいのです」
 奥州より放たれた密偵といえば良いのか、野疾というのか。
 まっとうな素性の者には思えなかったが、それでも、友だ。――まっすぐに見据える鑪の直向さに、顕家は思慮深く口をひらいた。
「館の内にその者がいるのなら。其許の伝言、耳に入るよう計らおう」
 では、平泉の舘で。
 そう告げて御所の方角へと馬を進める奥州将軍のぴんと延びた背中を見送って、冒険者たちは一様に吐息を落とした。
 立派な人物だと思う。
 源徳公、あるいは、武家が見据える正道とは相容れないのかもしれなかったが。
 その清廉な為人は木賊や陸には好ましく映ったし、放たれた言に叶などは思わず納得してしまった。

 ‥‥ただ‥

 少しだけ息苦しい。
 それは貴族という雲の上の存在への無意識の遠慮なのかもしれないし、まっすぐに伸ばされた背筋に表れる、無駄のない姿勢や所作への緊張でもあった。
 張り詰めていて、隙がない。
 そして、それは彼ひとりが発する空気に納まらず、周りも皆、張り詰める。――弛みっぱなしというのもどうかと思うが、人間、張り詰めたままというのは窮屈だ。
 ただ、盲目的に従えば良い配下や領民には美しく映るそれも、自らの良心を主として世を渡る冒険者たちには少しばかり息が詰まる。
「さて、これからの事なんだが‥‥どうしよう?」
 思いを振り切るように明るい声を発した陸の思案に、張り詰めていた緊張が音もなく解けた。
 見ておきたい居場所は沢山あって。
 知りたいコト、話たいコトもたくさんあった。


●黄金の鳳凰と独眼の竜
 伊達政宗の名は、平泉でも英雄だった。
 北畠顕家とは異なり都の匂いのしない生粋の奥州人であり、派手好きで何事も捕らわれない豪放磊落な為人に加え、人の度肝を抜く発想に有言実行の行動力が伴えば、隻眼の異形も悪しきものではなくなるらしい。

 ‥‥だが‥

 知れば知るほど不気味な男だ。
 全てを知り尽くした上で――あるいは、糸を引いているのはかもしれない――立ち回っているような印象さえ覚える。
 野乃宮の感覚で言えば、掌で踊らされているような。
 平泉にいたるまでの道のりで彼等が目にしてきた奥州は、平和で豊かな理想郷のような世界であった。
 もちろん、豪族同士の小さな衝突は尽きないし、税率を減らして欲しいとか、徴用に借り出されるのが負担だといった小さな不満や要望はいくらでも救い上げる事が出来る。だがそれも、他の国――例えば、戦乱の続く上州や、数千規模で動かされた兵士の進軍路にあった村や町の困窮に比べれば高望みだと一笑されてしまいそうな話だ。
 平和で、豊かで。
 それなのに、その国を統べる者たちに、言いようのない不穏を感じるのは何故だろう。
「源徳公よりの書状は確かに拝見いたした。――奥州の力を必要としておられるとのお話だが、具体的にはどのような援助をお望みか?」
 兵か、金か――
 上座にて使者を見回す眠たげな目をした老人は、そのどちらをも所有していた。
 穏やかに、鷹揚に。脇に従えた伊達政宗の圧倒的な存在感や、北畠顕家の輝くような清廉さを前にすれば、いかにも小さく老いて見える奥州の主が、只者ではないことはここへ至る道中‥‥そして、平泉を巡ってさらに認識を深くした。
 外見に惑わされ侮ってかかれば、忽ち喰い尽されてしまうだろう。
 例えば、相手が政宗ならば。
 強烈な覇気を有する漢に負けるまいと気を張って、陸はその相手に視線を向けた。潰されぬよう、腹に力を溜めて放たれる気を押し返えすだけだ。
 顕家を静かな漢だと思ったが、秀衡さらに大きく得体が知れない。目に強く力を込めて測ってみても手応えはなく、うっかりするとそのまま取り込まれてしまいそうな怖さがあった。
「畏れながら。陸奥の守様は、いかなる在り様をお望みでしょうか?」
 奥州と江戸。
 そして、日本という国に。
 野乃宮の問いに、陸奥の守――藤原秀衡は枯れた口から声のない笑を吐き出した。
「わが祖父・清衡はこの地を争いのない仏の国とすることを臨んだ」
 中尊寺を建立し、民の願いを黄金の阿弥陀堂に託して祈願した。
 政宗の口元がほんの僅か歪んだことに気がづいて、木賊は清衡が描いた夢の遠さを思う。
 争わず、穏やかに。
 誰しもそれを口にするのに、江戸も京も情勢を操る者たちが自ら折れて譲り合うことはない。自らの中にある信念を想って、鑪はひっそりと吐息を落とした。――国を治める者が、誰であっても民にとっては大差ない。だが、旗を仰ぐ者にとっては、それがとても重要なのだ。
「俺には政に関して小難しいことは分らない‥‥けど、江戸で居酒屋を営んでいる喧嘩仲間や大勢の友の幸せを奪うようなことは許したくない」
 それが陸の偽らざる心だ。
「江戸の幸せを守る為に、上州に暮らす者の幸せは犠牲にしても良い、と?」
「‥‥っ! そういう意味じゃ‥」
「言われれば、確かにそういう面もあるかと思う。だが、諍いに翻弄されるのは江戸の民だけじゃない、上州の民にとっても同じことが言えるのではないだろうか」
 帝より摂政の地位を託された源徳公には武蔵一国だけでなく、日本に暮らす全ての民‥‥もちろん上州の民をも思いやる義務があるはずだ。
叶の言葉に、木賊もぐっと背筋を伸ばす。
「武士は戦さによって名を挙げ褒賞を得ることができるが、巻き込まれる民はただ奪われるだけだ」
 戦さがなければ、国は潤う。
 ここへ至までの道中で、それはいやというほど実感できた。
「刀を携える者として‥‥江戸と上州の諍いをこれ以上、悪戯に長引かせない為にも、奥州よりの助力を願いたい」


●陵王
 高く囀るような竜笛の音色に松明が揺れる。
 竜笛と打物の音色を伴奏に大きく艶やかな走舞を紡ぎ出す舞人を感嘆と共に見つめるロゼッタは降って湧いた声に顔をあげた。
「異国の者と見受けるが、あの舞をご存知か?」
「‥‥いえ‥」
 ロゼッタの祖国で一般的なのは、もっと軽やかで情熱的だ。
「陵王舞‥‥蘭陵王というのだ。はるか昔の華国の王だ」
 言われて思い返してみても、長大な歴史と同じ長さだけ群雄割拠を繰り返した祖国の歴史は陸には少々荷が重い。
「‥‥その人が考えた舞いなのですか?」
「いや」
 囀が止み無伴奏で舞われる所作を横目で見ながら、ロゼッタはちらりと独眼竜と呼ばれる男を伺う。
「人を殺したのだ。その王は戦場に出る折には常に恐ろしげな面を付けていたのだとか」
「‥面を‥‥?」
 顔形が美しく戦場で侮られることを憂いた王は、一計を案じていかめしい龍の仮面をかぶって戦場に出、勝利を得た。
 確か、そんな逸話であったと思う。
 ぼんやりと記憶を探り野乃宮は、改めて舞い続ける陵王に視線を向けた。
 憂いていたのか、笑っていたのか。面の下に隠されたその顔は、どんな表情を浮かべていたのだろう。
「さて、何を考えていたのやら。――そういえば、亘理青葉の所在を尋ねていたのだったな」
 不敵に笑い、漢は不意に話題を変えた。
「知っているのか?!」
 体ごと政宗に向き直った鑪に、漢は僅かに唇の端を吊り上げる。
「アレは今、江戸にいる」
「‥‥江戸に‥?」
 思いがけない返答に、鑪はぽかんと目を丸くした。
「上州攻めに助力することになったのだから、アレにも働いてもらうことになろう」
 明日には、任務を終えた遣北使たちも帰路に着く。
 秀衡よりの使者を伴っての江戸行きは、往路に比べればどれだけ安らかなものになることか。
 先を急ぐ心に奪われた旅の楽しみを、帰りは存分に満喫したいものだ。パチパチと小気味良い音を立てる篝火を眺めて、叶は密かに泰平を見守る仏に祈る。――せめて、この一時だけは。これから起る戦さの憂いを忘れ、新緑の奥州路を存分に楽しめますように‥。