●リプレイ本文
田植えが始まっているのだろう。
水を張った田に出て働く人々の小さな影を遠目に眺めて、野乃宮霞月(ea6388)は目を細めた。
道の遠さを。そして、国の広さを改めて思う。――江戸や京のあたりなら、健やかに育った苗が、田を渡る風に葉裏の銀をそよがせている頃だ。
それまでの戦乱を生き抜いた藤原清衡が北上川の畔においた新しい都に求めたのは、「争いのない仏国土」であったという。
以来、二代・基衡、三代・秀衡が紡ぐ泰平の下に、平泉は都の文化を受容しながらも独自の文化を花開かせた黄金の都となった。
「‥‥わぁ‥」
聳え立つ断崖に囲まれた霊山城のストイックなまでに険阻な雰囲気から一転、京の朱雀門を思わせる巨大な朱塗りの門を前にロゼッタ・デ・ヴェルザーヌ(ea7209)は、声を上げる。
「確かに、すごいな」
祖国の大都にもどこか通じる匂いを持つ都の姿に陸潤信(ea1170)も、素直に感嘆を落とした。
「毛通寺南大門と申しまして。南より平泉入る者が最初に目にする門にございます」
引綱を持つ馬廻りが誇らしげに、首を傾けてそれを伝える。
毛通寺だけでなく、平泉という都の入り口であることを意識して作られた門なのだろう。いかにも壮大できらびやかな大門だ。
その門の前に立つ2つの人影に、木賊真崎(ea3988)は心音が飛び跳ねるのを自覚した。途切れた雲間から光が差し込んだかのように、視界がひらける。
「蕉翁殿! 大久保殿!!」
軽く手を挙げて呼びかけた叶朔夜(ea6769)の声もまた、ゆっくりと傾き始めた太陽の下で弾んだ。
「ご無事だったのですね」
追撃者の目を逸らせるために道を分った依頼主の消息は、活路の開けた冒険者たちの心に使えた最も大きな心配の種だった。
奥州将軍の一行に伴われての北上は、安全ではあったが自由が効かない。
土地に暮らす人々の生活の様子や、田畑の現状、山野の風景など。
目に見えるもの、あるいは、奥州が誇るモノについては護衛の者たちは気さくに質問にも応じてくれたが――例えば、物見遊山に漂泊する蕉翁とその弟子の消息や噂については、首を傾げる者が多かった。
「でも。本当によくご無事でしたね」
再会を果たした安堵に、ロゼッタもその育ちのよさ気な表情に笑みが浮かぶのを止められない。
「蕉翁さんてば、実は凄い猛者だったとか」
ついついそんな冗談も飛び出してしまうほど。
「ほほ。昔取った杵柄と申しましてな。――まだまだ若い者に負けるわけにはまいりません」
日本には、見て回りたい場所が沢山あるのだから。
滑らかに返された言葉もどこまでが冗談なのか。――それでも、そんな会話が交わせることを鑪純直(ea7179)はそっと仏に感謝した。
「再会に水を差すのは心苦しいが。‥‥よろしいか?」
かけられた穏やかな声は、彼等に課せられた使命を思い出させる。
いつの間に現れたのか、官服に身を包んだ下官が馬から下りた奥州将軍と肩を並べて立っていた。
「伊達殿は既に《平泉の舘》にお入りになっているそうだ。陸奥の守様も皆の到着をお喜びであるとか」
今夕にでも、宴の席を借りて会談の場が用意される。
恭しく頭を下げて口上し、下官はついと大門へと手を差し伸べた。
「ひとまずは加羅御所へご案内申し上げたいのですが」
「あ〜、いや‥」
別に、伏魔殿だと思っているわけではないのだけれど。
それでも、敵地に乗り込む心境には違いなく。できれば、もう少し心の準備――情報を交換する時間が欲しい。
「ここまで連れて来ていただいておいて申し訳ないのだが。宴の時間まで、もう少し平泉を見て回っても構わぬだろうか?」
仏国土だと自負するだけのことはあって、平泉には毛通寺や中尊寺、無量光院など仏教寺院・浄土庭園が数多い。――純粋に規模や大きさだけを比べれば、京にある仏閣よりも大きいと聞いていた。
僧籍にある野々宮が言えば、それほど不自然にも思われまい。
野乃宮の言葉に、下官は少し困ったように傍らに立つ北畠顕家を仰いだ。その顕家も僅かに眸を見開いたもの、さほど間を置くことなく首肯する。それを確かめ、下官はふたたび深く頭を垂れた。
「‥‥そうですか。今の時刻なら無量光院が美しいかと」
それでは、と。
随従を従えて踵を返した奥州将軍の姿勢の良い後姿に、鑪は想いを堰き止めていたモノが弾ける音を胸の裡に聞いた。
「お待ちください!」
そう言ってしまってから、鑪は自分が声を発ししたことに気づく。
今まで気にかけながらも言えずにいたが、この機会を逃せばきっと口にする間もなく終わる気がした。
「北畠卿は、亘理青葉なる人物をご存知でしょうか?」
「‥亘理‥‥?」
顕家は僅かに目を細める。
記憶を探るように動いた表情を注意深く伺いながら、鑪は先を続けた。
「江戸で知己を得た奥州の者にございます。――陸奥の守様に縁があるような事を申しておりましたので、この機会に再会を果たせれば、と。ご存知なら、拙者がこの地に居る事をお伝えしていただきたいのです」
奥州より放たれた密偵といえば良いのか、野疾というのか。
まっとうな素性の者には思えなかったが、それでも、友だ。――まっすぐに見据える鑪の直向さに、顕家は思慮深く口をひらいた。
「館の内にその者がいるのなら。其許の伝言、耳に入るよう計らおう」
では、平泉の舘で。
そう告げて御所の方角へと馬を進める奥州将軍のぴんと延びた背中を見送って、冒険者たちは一様に吐息を落とした。
立派な人物だと思う。
源徳公、あるいは、武家が見据える正道とは相容れないのかもしれなかったが。
その清廉な為人は木賊や陸には好ましく映ったし、放たれた言に叶などは思わず納得してしまった。
‥‥ただ‥
少しだけ息苦しい。
それは貴族という雲の上の存在への無意識の遠慮なのかもしれないし、まっすぐに伸ばされた背筋に表れる、無駄のない姿勢や所作への緊張でもあった。
張り詰めていて、隙がない。
そして、それは彼ひとりが発する空気に納まらず、周りも皆、張り詰める。――弛みっぱなしというのもどうかと思うが、人間、張り詰めたままというのは窮屈だ。
ただ、盲目的に従えば良い配下や領民には美しく映るそれも、自らの良心を主として世を渡る冒険者たちには少しばかり息が詰まる。
「さて、これからの事なんだが‥‥どうしよう?」
思いを振り切るように明るい声を発した陸の思案に、張り詰めていた緊張が音もなく解けた。
見ておきたい居場所は沢山あって。
知りたいコト、話たいコトもたくさんあった。
●黄金の鳳凰と独眼の竜
伊達政宗の名は、平泉でも英雄だった。
北畠顕家とは異なり都の匂いのしない生粋の奥州人であり、派手好きで何事も捕らわれない豪放磊落な為人に加え、人の度肝を抜く発想に有言実行の行動力が伴えば、隻眼の異形も悪しきものではなくなるらしい。
‥‥だが‥
知れば知るほど不気味な男だ。
全てを知り尽くした上で――あるいは、糸を引いているのはかもしれない――立ち回っているような印象さえ覚える。
野乃宮の感覚で言えば、掌で踊らされているような。
平泉にいたるまでの道のりで彼等が目にしてきた奥州は、平和で豊かな理想郷のような世界であった。
もちろん、豪族同士の小さな衝突は尽きないし、税率を減らして欲しいとか、徴用に借り出されるのが負担だといった小さな不満や要望はいくらでも救い上げる事が出来る。だがそれも、他の国――例えば、戦乱の続く上州や、数千規模で動かされた兵士の進軍路にあった村や町の困窮に比べれば高望みだと一笑されてしまいそうな話だ。
平和で、豊かで。
それなのに、その国を統べる者たちに、言いようのない不穏を感じるのは何故だろう。
「源徳公よりの書状は確かに拝見いたした。――奥州の力を必要としておられるとのお話だが、具体的にはどのような援助をお望みか?」
兵か、金か――
上座にて使者を見回す眠たげな目をした老人は、そのどちらをも所有していた。
穏やかに、鷹揚に。脇に従えた伊達政宗の圧倒的な存在感や、北畠顕家の輝くような清廉さを前にすれば、いかにも小さく老いて見える奥州の主が、只者ではないことはここへ至る道中‥‥そして、平泉を巡ってさらに認識を深くした。
外見に惑わされ侮ってかかれば、忽ち喰い尽されてしまうだろう。
例えば、相手が政宗ならば。
強烈な覇気を有する漢に負けるまいと気を張って、陸はその相手に視線を向けた。潰されぬよう、腹に力を溜めて放たれる気を押し返えすだけだ。
顕家を静かな漢だと思ったが、秀衡さらに大きく得体が知れない。目に強く力を込めて測ってみても手応えはなく、うっかりするとそのまま取り込まれてしまいそうな怖さがあった。
「畏れながら。陸奥の守様は、いかなる在り様をお望みでしょうか?」
奥州と江戸。
そして、日本という国に。
野乃宮の問いに、陸奥の守――藤原秀衡は枯れた口から声のない笑を吐き出した。
「わが祖父・清衡はこの地を争いのない仏の国とすることを臨んだ」
中尊寺を建立し、民の願いを黄金の阿弥陀堂に託して祈願した。
政宗の口元がほんの僅か歪んだことに気がづいて、木賊は清衡が描いた夢の遠さを思う。
争わず、穏やかに。
誰しもそれを口にするのに、江戸も京も情勢を操る者たちが自ら折れて譲り合うことはない。自らの中にある信念を想って、鑪はひっそりと吐息を落とした。――国を治める者が、誰であっても民にとっては大差ない。だが、旗を仰ぐ者にとっては、それがとても重要なのだ。
「俺には政に関して小難しいことは分らない‥‥けど、江戸で居酒屋を営んでいる喧嘩仲間や大勢の友の幸せを奪うようなことは許したくない」
それが陸の偽らざる心だ。
「江戸の幸せを守る為に、上州に暮らす者の幸せは犠牲にしても良い、と?」
「‥‥っ! そういう意味じゃ‥」
「言われれば、確かにそういう面もあるかと思う。だが、諍いに翻弄されるのは江戸の民だけじゃない、上州の民にとっても同じことが言えるのではないだろうか」
帝より摂政の地位を託された源徳公には武蔵一国だけでなく、日本に暮らす全ての民‥‥もちろん上州の民をも思いやる義務があるはずだ。
叶の言葉に、木賊もぐっと背筋を伸ばす。
「武士は戦さによって名を挙げ褒賞を得ることができるが、巻き込まれる民はただ奪われるだけだ」
戦さがなければ、国は潤う。
ここへ至までの道中で、それはいやというほど実感できた。
「刀を携える者として‥‥江戸と上州の諍いをこれ以上、悪戯に長引かせない為にも、奥州よりの助力を願いたい」
●陵王
高く囀るような竜笛の音色に松明が揺れる。
竜笛と打物の音色を伴奏に大きく艶やかな走舞を紡ぎ出す舞人を感嘆と共に見つめるロゼッタは降って湧いた声に顔をあげた。
「異国の者と見受けるが、あの舞をご存知か?」
「‥‥いえ‥」
ロゼッタの祖国で一般的なのは、もっと軽やかで情熱的だ。
「陵王舞‥‥蘭陵王というのだ。はるか昔の華国の王だ」
言われて思い返してみても、長大な歴史と同じ長さだけ群雄割拠を繰り返した祖国の歴史は陸には少々荷が重い。
「‥‥その人が考えた舞いなのですか?」
「いや」
囀が止み無伴奏で舞われる所作を横目で見ながら、ロゼッタはちらりと独眼竜と呼ばれる男を伺う。
「人を殺したのだ。その王は戦場に出る折には常に恐ろしげな面を付けていたのだとか」
「‥面を‥‥?」
顔形が美しく戦場で侮られることを憂いた王は、一計を案じていかめしい龍の仮面をかぶって戦場に出、勝利を得た。
確か、そんな逸話であったと思う。
ぼんやりと記憶を探り野乃宮は、改めて舞い続ける陵王に視線を向けた。
憂いていたのか、笑っていたのか。面の下に隠されたその顔は、どんな表情を浮かべていたのだろう。
「さて、何を考えていたのやら。――そういえば、亘理青葉の所在を尋ねていたのだったな」
不敵に笑い、漢は不意に話題を変えた。
「知っているのか?!」
体ごと政宗に向き直った鑪に、漢は僅かに唇の端を吊り上げる。
「アレは今、江戸にいる」
「‥‥江戸に‥?」
思いがけない返答に、鑪はぽかんと目を丸くした。
「上州攻めに助力することになったのだから、アレにも働いてもらうことになろう」
明日には、任務を終えた遣北使たちも帰路に着く。
秀衡よりの使者を伴っての江戸行きは、往路に比べればどれだけ安らかなものになることか。
先を急ぐ心に奪われた旅の楽しみを、帰りは存分に満喫したいものだ。パチパチと小気味良い音を立てる篝火を眺めて、叶は密かに泰平を見守る仏に祈る。――せめて、この一時だけは。これから起る戦さの憂いを忘れ、新緑の奥州路を存分に楽しめますように‥。