●リプレイ本文
その日、
朝一番の早馬で旅籠に到着した客人の姿を見つけ、アイリス・フリーワークス(ea0908)は歓声を上げて二階の窓から飛び出した。
よく晴れた空と同じ青い羽根が、春の日射しに機嫌よく微風を紡ぐ。
「紅水さ〜ん! 間に合ったですね〜 心配してたですよ〜」
仲間の到着を喜ぶアイリスの声に、田之上志乃(ea3044)も朝餉の箸を放り出して階段を駆け下りた。驚いて退ろうとする紅桜の轡を両手で捕まえ、志乃は馬上の御神楽紅水(ea0009)に笑顔を向ける。
「無事に着いただな。時間になっても来ねェもんで、何かあったのでねェかと心配しとっただよ」
「うん。手紙出したつもりなんだけど、届いてなかったみたいで。――心配かけて、ごめんねぇ」
騒ぎに何事かと二階の窓から顔を覗かせた陣内晶(ea0648)とレイナス・フォルスティン(ea9885)も、紅水の到着を喜んだ。
「いらっしゃい、お待ちしていましたよ。いやもう、紅水さんがいないと、ほら‥‥潤いが足りなくて‥‥」
何しろ、シフールと子供と、枯れた老人。‥‥残りは、野郎ばっかり。
面子に不満があるワケではないけれど、やっぱり女の子は多いほうが断然、やる気の出る陣内である。――そして、今度は暮空銅鑼衛門(ea1467)を不幸が見舞った。
●山の神に会いに
さて、山登りである。
依頼人の意向とはいえ、なんだか振り回されているような気がしないでもないけれど。
ともかく、旅籠に頼んでお弁当を作ってもらい、ますます水嵩を増して荒れ狂う川の水ガ溢れ出さないうちに早々と街を発つ。
川の変異で仕事にならぬ船付場の人足と話をつけて、山までの駕籠も確保した。奈良屋としても、温泉はともかくとして覗きの片棒は担ぎたくなかったらしい。――山ノ神の祠までは細いなりに道もあり、危険な魔物が出るという話は聞かないが、万が一、ということもある。
哨戒役のアイリスを先頭に、前衛を申し出たレイナス、志乃と奈良屋を挟んで紅水、殿に陣内という布陣(?)で、細い参詣道を登ることになった。
「川の神様に、山の神様ですか。ジャパンには神様がたくさん居るですよ〜」
見えそうで、見えない。山道の哨戒と皆の応援を兼ね、陣内をやきもきさせる高さをふよふよと漂いながら嘆息するアイリスに、志乃は物知り顔で頷いた。
「おっしょさまの話によるたァ、八百万はいなさるっつぅ話だべ」
「は、八百万ですか〜」
うっかりすると江戸の人口より多いかもしれない。
確かにそれは凄いと驚くフォルスティンに、紅水も曖昧な笑みをこぼした。
「善い神様ばかりじゃないんだけどね‥‥」
暴れ川と変じた境川の流れも、絶えれば人はたちまち困るのだから。
善くも悪くも尋常なる力を持つモノを、総じて《神》と呼ぶ。――とりあえず祀っておけば、悪さもするまい。そんな安易さもどこかに伺えた。あるいは、昔の人々にとって《神》はもっと身近なモノであったのだろうか。
「でも。山の神様ってどんな方なんでしょうね〜」
くれぐれも美人でありますように。祈りつつ奈良屋の腰を押して九十九折の階段を上る陣内の呟きに、紅水はどうだろうと首をかしげる。
「‥‥山の神様は女の人だって話は聞くけど‥‥醜女が多いって言うよね‥」
そして、とても嫉妬深いのだ。女性の立ち入りを禁じる山は多く、また、そんな山の神を安心させるために、祭事にオコゼ(虎魚)を供える地方もある。
「まぁ、白山さんみたいにえれェ別嬪っつぅ話もあるだけんどなァ」
尤も、準備を兼ねて調べてはみたものの、こちらの山の神様には残念ながら、その手の話は残されていなかった。
薪や茸、山菜、薬草などを採りに訪れる者たちが折りに付け手入れはするが、何か大きな祭事があるわけでもなく、川の神同様、御伽噺に語られるだけの存在である。――川の神を治めた功から、厄除けや縁結びにご利益があると言う者もいた。
「天狗なら男に決まっとるだら」
お供え用に酒と牡丹餅を携えた志乃の言葉に、陣内と紅水は無言で顔を見合わせた。
言われてみれば、女性の天狗というものは聞いたことがない。‥‥まあ、あまり見てみたいとも思わないが。
●奈良屋の秘密(2)
たどり着いた山頂はまだ少し肌寒さも残っていたが、見下ろす景色は春らしく暖かい。
大地を這う川の流れを眼下に見下ろす開けた場所に、山ノ神の祠はあった。――古い切り株が昔話を彷彿とする。
「そういえば、奈良屋さんが山の神様に会う目的って聞いてなかったよね?」
ふと口にした紅水の素朴な疑問に冒険者たちの視線が奈良屋に集まった。
好事家として知られた男である。――よもやこの祠に、珍しいお宝が置かれているなんて話を聞きつけて、コレクションに加えるつもりじゃあ‥。
幾人かの疑惑のこもった視線に、奈良屋は少し渋い顔をした。少し考え込むように眉を顰め、ゆるゆると息を吐き出す。
「‥‥誰にも言わぬと約束したのだが‥。まあ、ここまで来て蚊帳の外ではお主らも落ち着きが悪かろう」
言いながら、老人は懐から小さな包みを取り出した。
絹の袱紗に包まれたそれは、先日、旅籠の座敷で冒険者たちがちらりと垣間見たモノに間違いない。
「コレを捨てに来たのだ。‥‥理由は知らんが、江戸に置いては善くないモノだと言われたのでな‥‥おっと。中身は山の神を探してからにした方が良いだろうの」
旅立つ前は半信半疑であったものが、江戸から持ち出した先で奇異に出会いなるほどと得心した。
得心はしたが、ただ捨てるだけでは不安が残る。それで、山の神を頼ってみようと思い立ったのだ。――本当に山の神が現れるかどうかは、半分、賭けであったのだけれども。
「でも、肝心の山の神様はどこにいるですかね〜?」
きょろきょろと周囲を見回したアイリスに、奈良屋は肩をすくめて古い切り株に腰を下ろすと煙管を取り出した。白い煙がふわりと青空に香り立つ。
「それを探すのも、お主らの役目ではないか」
「ええ〜?!」
まったく、我儘な雇い主だ。
顔を見合わせ、吐息をひとつ。
まずは、お神酒とお餅を祠に供え‥‥それから、アイリスの笛と紅水の神楽舞でお出ましを願ってみることに――
これでダメなら、川の神に直談判が必要かも。
■□
先刻まで、確かに誰もいなかったのに。
踊る紅水の動きに合わせてひらりひらりと宙を舞う巾を目で追いかけた‥‥その、一瞬。
皆の視界から外れた祠の上に、彼は静かに立っていた。
「―――っ!!?」
山伏の装束に、一本歯の高下駄。驚くほど鼻梁の高い、白髪の老人。――思わず、ぽかんと口を開けて立ち尽くした冒険者たちの視界の中で、彼もまた、興味深げに彼らを見下ろす。
「‥で、で‥た‥‥」
悲鳴を上げて逃げるのもあり?
会えなければ、困ったことになるのだけれど。――出会ってしまったら、それはそれで大変な‥。
先刻までの長閑さが豹変し、ぴりぴりと肌を引き締めていく緊張感に思わずそんなコトまで脳裏をかすめる。
最初のひとことを紡ぐのに、ずいぶんと時間が掛かった。
●解けた魔法
「境界に異変を感じて参じてみれば‥‥なるほど、あヤツが目覚めたか‥」
境川の異変を訴えた一行の言に、天狗は深い眼窩の奥から川を眺める。
彼の眼には、怒れる川の神の姿が見えるのだろうか。
「――それで、川の神が怒っている理由に心当たりはあるのか?」
とりあえず話のできる相手でよかったと安堵しつつ、フォルスティンはゆっくりと剣にかけた手を離した。
怒りの理由が明らかになれば、それを静める方法も見えてくる。フォルスティンの問いに天狗はのんびりと首をかしげた。
各地で神の名を冠されたモノが目覚めの声を上げている。――覚醒を促した理由は、他にあるかもしれない。だが、
「おそらくは、術が解けたのだろう」
「術?」
「――おんしらは、昔話を頼りに此処へきたのだろう? 儂が川辺郷の者たちにしてやったことと言えば、ひとつしかあるまい」
面白そうに問い返されて、志乃と紅水は顔を見合わせた。
川の神様に手を焼いた村人たちは、山の神様に相談し‥‥彼らの願いを聞き入れた山の神様は‥‥
「人形を作ったんだっけ?」
「いくら神木とはいえ所詮は『木』、長い時が過ぎれば朽ちて『土』に還るのが理というものだ」
「‥‥そういえば、嫁取りに苦労したとか言ってましたよねぇ」
ようやく手に入れた花嫁が、儚く消えてしまったら。
落胆する気持ちは、理解る。なんだか少し川の神様が可哀想になった陣内だった。
「んだば、川の神様を鎮めるにゃあ、新しい花嫁さ拵えてやったらええっつぅことか」
「それが、1番手っ取り早い。無論、人形である必要はないが‥‥」
若い娘が生贄に身を差し出すのも、もちろんアリだ。
重い言葉に、紅水は口を噤む。それで、全てが上手くいくのなら‥‥そう思わないでもないけれど。
ただ、生身の人を差し出せば、ひとりでは済まない可能性もある。
「『人』は『木』よりずっと保ちが悪い。――とはいえ、最近は呪いに耐えられそうな古縁を持つ神木もそう簡単には見つからぬ」
「いっそ川の神を排してしまうのはいかがかの?」
奈良屋の言葉に、どきりとしたのはきっと志乃だけではないはずだ。
ここにいる冒険者たちの力を持ってすれば、あるいは『神殺し』も不可能ではないかもしれない。――ひどく大それて聞こえる提案に、天狗は頷く。
「それも、ひとつだ。まあ、賢い策だとは思えぬが」
アレでもこの辺りの水精を統べる神だ。
水難は確かに除かれる。だが、ひとつ精霊力の均衡が崩れれば、その次に何が起こるか‥‥想像がつかない。
「困りましたよ〜」
はぁ、と。しょんぼりと肩を落としたアイリスの嘆きに、陣内とフォルスティンもどうしたものかと思案を巡らせる。
何か良い方法はないだろうか。
どこか思いつめた風な紅水の顔色に、声をかけようとした志乃の言葉を遮ったのは奈良屋であった。
「‥‥呪いに使えそうな神木に心当たりはないが、これは使えぬかの?」
差し出された袱紗に、視線が集まる。
ゆっくりと開かれた包みの中から現れた小さな茶色の塊に、志乃は目を見開いた。――志乃だけではない。アイリスと紅水、そして、陣内もまた思わず息を呑む。
ずっと探し続けていたもの。
心を残し、気に掛けて‥‥彼らが、今、此処にいる理由のひとつにも通じる琥珀の玉が‥‥目の前にあった。
●琥珀玉
《蟲封じの玉》――そう呼ばれていた。
光に透かせば深い飴色の琥珀の内に、一匹の蟲が閉じ込められているのが確かに見える。
その異形か。あるいは、神体として納められていた遺跡の性質が、琥珀に由来したのかもしれない。
「‥‥江戸にあってはいけないものだ‥」
虫干しの日、蓑虫茶寮の庭先に現れた少女は、縁の先で埃を払っていた小間使いに言ったのだという。
年の頃は、十かそこら。晦日の闇夜を思わせる光のない眸と、抜けるように色の白い、どこか人を怯ませる雰囲気を持った子供であった、と。小間使いの少女がひどく怯えたせいで、ちょっとした騒ぎになった。
無論、俄かにその言葉を信じたわけではなかったのだが、
大火に見舞われ、
源徳公が江戸を追われ‥‥立て続けに続く騒乱に、その言葉を重ねても不思議はない。
「そんで、捨てる場所を探しとったつぅことだべか‥‥」
危ないところだった。
何事も起こらぬまま、奈良屋の帰りを江戸で待っていたらと思うとぞっとする。ただ、安堵ばかりもしていられない。
「なるほど。大地より生み出された宝玉とは面白い。神体であったというなら、尚、好都合‥‥朽ち果てぬ分、神木より使えそうだが‥‥さて‥‥」
そう太鼓判を押し、天狗はちらりと複雑な色を浮かべた冒険者たちに視線を向ける。
この災難を収める新たな礎とするか、あるいは、別の手法で切り抜けて琥珀玉を江戸へ持ち帰るべく知恵を捻るか。
選ぶ道は、ふたつにひとつだ。