●リプレイ本文
江戸にあっては善くないモノだ――
少女は言った。
暴かれた遺跡の裡に封じられていた古の蟲。
大火に見舞われた江戸の町。
そして、奥州勢力による江戸城の開城と源徳氏支配の瓦解‥‥突き詰めれば、尾張・三河同盟の崩壊、ジャパン全体を押し包もうとする不穏の影にまで飛び火する。
取って付けたような理屈であるような気もするけれど。因果の程が明らかでないだけに、動乱を乗り越える力を持たぬ者たちにとっては幾重にも気味が悪い。
神に預けることが出来るなら‥‥
少なくとも手放すまいと護ってはくれるはずだ。
現在の所有者である奈良屋茂左衛門にとっては、決して悪い取引ではない。
天狗としても術に耐え得る御物が既に用意されているのなら、骨を折る手間が省けるというもの。彼らが生きる時間は人に比べて悠久だが、だからといって気長に待ってくれるモノでもない。――神や魔物と呼ばれるモノたちは、むしろ短気な者の方が多いのだから。
異論があるのは‥‥むしろ、
曰くの玉を追いかけていた者たちにとっては、彼らが今ここにいる理由でもあるそれを、容易くあきらめることは、やはり出来ない相談で。
「正直なところ、数珠で済むならこれで‥‥と言いたい所ですがねぇ」
しみじみと嘆息する陣内晶(ea0648)の言は、あるいは、皆の心中の奥底に共通する想いでもあった。
ひとつの災いを取り除く礎となったのならば、木地師の衆もきっと納得はしてくれるのではないかとも思う。彼らの村は、その蘇った災厄によって滅びたのだ。‥‥古より続く災いの恐ろしさは誰よりも判っているだろう。
「だども‥‥オラ達ァそのお数珠さ探しとって、大旦那さぁの帰りさ待っとっただよ」
「あの数珠は大切な物なんですよ〜」
「できれば、元の村に戻してあげたいなぁ」
田之上志乃(ea3044)とアイリス・フリーワークス(ea0908)の訴えに、御神楽紅水(ea0009)もどこか育ちの良さを感じさせる綺麗な顔に思案の色を浮かべた。
それで間に合うものなら身を差し出すのもいいかもしれない。そんなこともちらりと考えた紅水だったが、とりあえずは言葉を飲み込む。――仲間の命を天秤にかけるなら、皆、迷わず数珠を差し出すだろうから。
陣内ではないが、寝覚めは良いに越したことは無い。
「したっけ代わりさ探すだから、呪ぇ掛けるなァぎりぎりまで待ってくんろ」
「ほう、心当たりがあると言うのか?」
志乃の言葉に、天狗は興味深げに顎を引いた。
曲がりなりにも神に差し出すものである。――どこにでもあるようなモノで良いとは思えないのだけれど。
「まあ、待てというのならば待たぬこともない。こちらも色々と準備があるでな。――この玉であれば3日というところだが、モノによっては時間が掛かる」
川辺郷への往復と川の神を沈める儀式に費やす時間。
奈良屋と共に江戸に帰る道のりをも考慮に入れれば、1週間といったところか。とはいえ、天狗が待つと言っても、川の神が待ってくれるとは限らない。
「せば山神さま、教えて下せェ。ご神木だら、太ぇ枝さ分けて貰やええだか? 他にどんなモンだらその呪ぇに耐えられるだ? 確か『ごぎょうそうしょう』‥‥っつぅた筈だども、おっ師ょさまァ「金ァ水さ生む」っつぅとっただ。『水』と相性のええ『金』‥‥例えば名のある刀なんぞどうだべ?」
矢継ぎ早に畳み掛けられ、天狗は少しうるさげに顔をしかめた。
答えの全てを最初から当てしていては、自らの力に問う意味がない。――新たな神を探し出すのに準じる行為なのだから、天啓を得られるよう奮ってもらわねば。
「‥‥よもや枝を折る程度なら許されようなどと、ムシの良いことを考えておるワケではあるまいの?」
天狗のしゃくった顎の先には、古い切り株がひとつ。――かつて、神木と呼ばれていたナナカマドがここに枝葉を広げていたのだろう。
木霊、すなわち木の霊力‥‥命を取り込んで成る術だ。
拝借したのが枝であっても命の源を奪われれば、間違いなく元の木は枯れる。
「むろん、金でも構わぬぞ」
錬金術師たちに言わせれば、黄金は地上でもっとも安定した物質だ。
ただ、金属でありさえすれば何でも良いというものでもない。――例えば、神皇家に伝わる『草薙』や『八咫鏡』のように。百年、二百年の時を越えて崇められ、それ自体が神格を持つような‥‥『蟲封じの玉』に白羽の矢が立ったのも、そちらの意味が強いのだろう。
「そのようなモノを見つけられるか?」
仮に条件を満たす御物が見つかったとして。
おそらくは神として祀られているであろう「それ」を容易く手に入れるコトができるのだろうか。――暴かれた遺跡から持ち出された神体を手に入れる為に、他の神体を納めた神域を暴いたのでは、それこそ本末転倒というものだ。
投げられた問いに、冒険者たちは改めて選ばんとする道の険しさを自覚する。
それでも。
‥‥それでも、可能性があるならば‥‥賭けてみずにはいられなかった。
●お道具袋の中身
「いやはや、ひどい目にあったでござるよ」
たとえギックリ腰を疑われても、背嚢にはモノを詰めておかなければ落ち着かない。
ある意味、商売人の鏡ともいえるコダワリを持った男‥‥暮空銅鑼衛門(ea1467)は、川辺郷の旅籠で自慢の秘滅道愚を広げて吐息を落とす。
貴重なものから、褌まで。軽く200種を越える道具の中に、さて使えそうなものはあるのだろうか。
「御神体だと、鏡とか刀が一般的かな」
決して狭くはない畳の上にずらりと並べられた道具を眺めて、レイナス・フォルスティン(ea9885)も思案を巡らせた。暮空同様、直接、関わったワケではないが、仲間の意思は尊重してやりたいと思う。――ナンパや武術の向上に関心を向けているだけでなく、ちゃんと仲間を思いやる熱い心も持っているのだ。
こういう男は、やっぱりモテる。なかなか強力な好敵手の出現を知った陣内だった。いや、だが‥‥ふたりで上手に持ち上げれば、シフールの空中舞踊も夢ではないかも。
などとこの期に及んでまだ、そちらの夢も捨てきれない陣内の心中には気づくはずもなく、順繰りに道具を検分していた暮空が衝撃を隠しきれない声をあげる。
「なんと! 銅鏡しかないでござるよ。ミーとしたことが不覚でござる。‥‥銀のトレイではダメでござるか?」
うきゅv、と。壮年のオヤジに可愛らしく見つめられ、フォルスティンは絶句する。これが妙齢の女の子であれば、思わず賛成してしまうかも。悪い意味で早くなった心拍を抑えフォルスティンはとりあえず、気まずく視線を逸らした。
「‥‥確かに‥‥か、顔は映るかもしれないが‥」
「―って、顔が映るかどうかは、問題じゃないですからっ!」
芸人を目指す者として、とりあえずツっこんでおかねば。
意外な盲点に落とした肩を揺すって気を取り直し、暮空は一振りの小太刀を取り上げる。――刻まれた銘は『永遠愛』‥‥作成者の思惑はともかく、向き合う難題のテーマとしてはなかなか使えそうな気もするが。
「問題は、山の神様のお眼鏡に叶うかどうかなんだろうね」
紅水の嘆息に、皆、顔を見合わせた。
暮空の道具はみな貴重ではあるが、商品として取り扱われている品だ。――魔力を付与されているモノもあるが‥‥さて、どうだろう。
●思惑の限界
術に耐えうる霊力を秘めたモノ。
前回は運よく手近にあった神木を使うことが出来たが、今回は‥‥候補は既にあるのだけれど、少しばかり事情が異なる。
何よりも神が治めていた時代を思えば、人が増え過ぎたのかもしれない。
能動的に野山を開拓し、活動範囲を広げていくのは、もちろん悪いことではないのだけれど。無限ではない世界で、ひとつの勢力が爆発的に増えたとしたら‥‥見えないところで何かが減っているということだ。
それが、神魔と精霊たちの世界であったという話。あるいは、彼らの耐えうる限界を超えたのが、各地で神や精霊が目覚め始めた要因だろうか。
神木、あるいは、神体と呼ばれるモノを探すのは予想以上に困難だった。
川の神を鎮める為だと言われれば、川辺郷の者たちも知らん顔はできない。
「そういう道具があれば、山の神様がもう一度呪いをかけてくれるそうなのですよ」
アイリスにそう元気付けられ、紅水や志乃と一緒になって心当たりを探してくれてはいるのだけれども。
高い空の上からそれらしいものはないかと一生懸命視線を配るアイリスのふわふわ揺れる衣の裾をちらちらと眼で追いながら、陣内はふと湧いた疑問を口にする。
「ところで奈良屋さんは、この数珠をどうやって手に入れたんすかね?」
ぽそりと呟いた陣内の言葉に、奈良屋はちらりと視線を向けた。その目が、何を今更と言っている。
「いやホラ、売主について一応きちんと聞いてみたいなーと」
「買ったモノではない。虫干しの日に騒動があったという話は聞いたのだろう?」
「‥‥ええ、まあ‥」
小間使いの少女は、突然、現れた女童の手に握られていた『数珠』を、虫干し中の骨董品のひとつだと思ったのだった。
縁側に並べられた名品・珍品の数々が烏や風に飛ばされぬよう見張りを兼ねていた娘が返還を要求したのは当然で。
「まあ、石の葉っぱや、魚などもあったでな‥‥勘違いしたのだろうが‥‥」
似た様なガラクタの中に紛れ込ませれば、安全だとでも思ったのだろうか。あるいは、自身がそれ以上の関わりを避けたのかもしれない。――あの女童の行動は、時々、どこか子供の浅知恵を思わせるところがあった。
ともかく、小間使いの娘に数珠を渡し、件の警告だけを発していずこかへ消えたのだという。
「やはりあの子は心配してくれてたんだ」
手放しで喜んで良いモノなのか判らないけど。それでも、紅水の声と表情はやわらかかった。
「でも、なかなか無いものですね〜」
「んだな」
しょんぼりとため息を付いたアイリスの隣で、志乃も難しい顔をして足元を見る。
まったく無いワケではない。
ただ、やはり皆、大事に祀られていた。
川辺郷の災難に同情し、気遣ってはくれるけれども‥‥ならば、これをどうぞと差し出してくれるような性質の問題ではない。
似たような曰くを持つ品であれば、失われれば次はこちらが災厄に見舞われるかもしれないのだ。――それを思えば‥‥誰も迂闊に頷けないだろう。
心を決める刻限が迫っていた。
●水の底を揺らす風
良いものを見た。
温泉とシフールのスカートの中は惜しかったけれども。今回は、これを見られただけでも労を厭わなかった甲斐があったかもしれない。
「こりゃあ、たまげた。どっから見てもお姫さまだべ!」
天狗に伴われて川辺郷へとやってきた娘に、皆、目を丸くした。
とても人形だとは思えない。どこからどう見ても、立派な人間。それも、暴れん坊の川の神に差し出すにはもったいない美人である。――――琥珀色をした長い髪と眸が、知っている者だけにその名残を告げていた。
「眼福ですな〜」
「‥‥‥そうだな‥」
助平を自負する陣内とフォルスティンの反応は、当然として。
暮空や奈良屋の鼻の下も伸びている。あと×年若ければ‥‥なんて、悔やむ気持ちがほんの少し理解できた。
高価なお供えを積み上げても、あの娘を前にした川の神の意思を変えることはできるまい。そんなことさえ漠然と納得できてしまうほど。
「お綺麗な人ですよ〜」
「うん。美人だね」
ぽかんと大きな口を開けたままの志乃と、顔を見合わせて嘆息したアイリスと紅水の表情に、天狗はからからと笑う。
「誰の目にも好ましく映る。そういう風に作ってあるのだ」
「へえ、そうなんだ。うん、すごいなぁ」
街全体がのぼせてしまったかのような。ふわふわと良い匂いのする空気のなかで、娘はちらりと冒険者たちに視線を向ける。そして、にこりと微笑んだ。
『‥‥皆様にお礼を言いたくて‥』
銀鈴を震わせる綺麗な声は、聞き取れぬほど細く。だが、はっきりと志乃の胸に届いた。その意外な言葉に、志乃は激しく首を振る。
「礼? 礼だなんて‥‥おめぇさんを元の場所にけぇしてやれなかっただよ‥‥」
いいえ、と。
琥珀玉の娘はゆるゆると首をふる。
『元の場所に戻されたとしても、護るべき封印は既に解かれているのです。ただあるだけの存在である私に、あなた方は、今一度、役割を与えてくださった。――感謝しています』
花嫁を送り出す晴れやかな喜びと喪失の寂しさが混ざり合い、胸の裡よりこみ上げた想いが堰を切って溢れた。
花嫁のたたずむ瀬より、波立つ川面に静謐が広がっていく。
空を映す鏡の如く凪いだ水の底より、ふつふつと水泡が湧き上がり‥‥立ち上がった水の中から直垂を纏った若い公達が姿を見せた。
「‥‥やっぱり、川の神様は女性であるべきですよね‥」
「うむ」
粛々と進む儀式を眺めつつ、やはり心残りは‥‥と、呟きあう陣内とフォルスティンに奈良屋は呆れた風に息を吐く。
「ほれ、のんびり構えておるわけにはいかんぞ。まだ、行くところがあるだろう」
「え? 温泉ですか?」
もちろん、違う。
江戸に戻り、この結末を待っている者たちに伝えること。――決して、望んだ結果ではなかったが――それでも、琥珀玉が残した言葉を聞くべき者に届けるまでが、冒険者たちの仕事なのだから。