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イメージノベル『Eye of The World』  作:ちまだり

第2話「久遠ヶ原に来た少女」



●とある日曜日

その日、久遠ヶ原学園の空は爽やかに晴れ渡っていた。
生徒達にとっては絶好の行楽日和である。
――にもかかわらず、高等部1年・大樹トオル(だいき−)は朝から学園の一角にある図書室に籠もり
資料文献の山と格闘していた。

アリス先生から出された「退魔学」課題レポート提出日は今週だ。
未提出者にはもれなく罰ゲームのおまけつき。
まだ数日の余裕があるといえ、まとまった勉強時間が取れるのは今日くらいだし、直前になるとめぼしい資料本
が他の生徒に借りられてしまう怖れもある。
資料を借りて寮の自室でレポートを書いてもよかったが、自分の部屋はついTVを見たり
読みかけ漫画やゲームに手を出したりと誘惑も多い。
その点日曜の図書室なら空いてるし、静かだから課題にも集中できると思ったのだが――。

「あ〜んここわかんなーい! ちょっと、トオル教えてよぉ!」
長テーブルを挟んでやはりレポートを書いてるクラスメイトの彩乃ユア(あやの−)がちょくちょく声をかけてくるため、さっぱり集中できなかった。
「うるさいなあ。課題なんだから自分で真面目にやれよ」
「うわっ何様? そもそもトオルが悪いんじゃない」
「おれが? 何で」
「ユアちゃんが依頼で大活躍してる間、トオルは学園でせっせとレポートを仕上げる。で、後で写させてもらう‥‥ああ、完璧な計画だったのに‥‥」
「それは計画じゃねぇ、妄想だーっ!!」
「うふっ♪ そんなこといって、トオルだって結構苦戦してるみたいじゃない?」
「うっ‥‥」
図星である。
「どう? ここはひとつ、お互い作業分担して共同制作っていうのは?」
「ま、まあ、そこまでいうなら」
藁をもつかむ思いでトオルが承諾すると、ユアはささっとノートに分担表を書いた。

『本文担当:トオル、イラスト担当:ユア』

「‥‥おい‥‥イラストってなんだ?」
「レミエル様×常盤先生のちょっとエッチな‥‥アリス先生なら、これで50点くらい加算してくれると思うの♪」
「ンなワケあるかーっ!! っていうか、実質おれに丸投げかよ!?」

「図書室ではお静かに願いまーす」

図書委員から注意を受け、慌てて声を下げるトオル。
「あ〜あ、BL小説だったらいくらでもネタがあるのになぁ」
「もういい‥‥一瞬でもおまえをアテにしたおれが馬鹿だった‥‥」

「ふふん。0に0を掛けても所詮は0か」
同じテーブルの端の方で、何やら分厚い資料を広げていたはぐれ悪魔が皮肉めいた苦笑を浮かべた。
「おいゲオルグ! 嫌み言ってる暇があったら、少しは手伝ってくれよ」
「断る。私は自分の調べもので忙しい」
「そっちも課題レポートが出てるのか?」
「いや。先週のディアボロ討伐依頼がどうも気になってな‥‥あの時行った町の過去の記録を調べていた」
(‥‥!)
あの町での出来事は、内心トオルもひっかかるものを感じていた。
「なになに? この前の依頼の話?」
トオルとユアは席を離れ、ゲオルグの手許を左右から覗きこんだ。
「思った通りだ。元々は比較的治安の良い地域だったのに、ここ数年になって下級天魔による被害が急増している。しかも、その殆どが野良ディアボロによるものだ」
「ディアボロだけ? サーバントの方は?」
サーバントとは天使が創り出した怪物の総称である。
悪魔がディアボロを用いて人間の「魂」を狙うように、天使はサーバントに人間をさらわせその「感情」を奪いエネルギー源とする。また主の天使に放置されたサーバントが野生化し、無差別に人間を襲うという点もディアボロと大差ない。
「一応野良サーバント出現の事例もあるが‥‥9割方はディアボロ被害だ。特に近年になるとな」
「不自然だなあ‥‥」
「野良ディアボロの仕業に見せかけて、実は背後で悪魔が計画的に操ってる‥‥ってことは考えられない?」
ユアが口を挟んだ。
「その可能性は否定できんな。もっとも町の占領が目的なら、ゲートを生成して一気に攻め込んだ方が効率的だと思うが」
「どっちにしろ、もう一度あの町へ行って本格的に調査した方がいいんじゃないか?」
「それはちょっと難しいな」
トオルの提案にゲオルグは難色を示した。
「我々は警察ではない。町の人間から直接依頼されたならともかく、こっちから押しかけて色々嗅ぎまわってもいい顔はされないだろう」
「そーよねぇ‥‥きっとあの自警団のオヤジがうるさいわよ〜。
『地方自治への不当な干渉だ!』とか何とかいって」
(あの嫌みなおっさんか‥‥)
あの日、ディアボロを討伐した自分達に向かって「君らなぜ元凶の悪魔を滅ぼさないのか?」と言いがかりをつけてきた男を思い出し、トオルは複雑な心境になった。
あの浦部という男がなぜ撃退士を嫌うのかは知らないが、久遠ヶ原学園生徒として、1人の撃退士としてあの発言は許せない。
だが、かつて他ならぬトオル自身が似たような、いや遙かに残酷な言葉を撃退士に投げつけたことがある。

まだ自分の撃退士適性が判明する前のこと。
悪魔により故郷を占領された際、
トオルは久遠ヶ原学園から派遣された撃退士部隊によって奇跡的に救助された。
しかし命の恩人である撃退士達に対し、避難所でトオルが叫んだのは感謝の言葉ではなかった。
『何でもっと早く助けに来てくれなかったんだよ! おまえら悪魔が怖かったのか? 怖じ気づいておれの家族や
友達を見殺しにしたのか!?』
撃退士達はただ黙って目を伏せた。
その救出作戦に参加した撃退士部隊が悪魔との直接交戦で戦死者2名、
多数の重体者を出したのを知らされたのは後日のことだった。
もはや取り返しのつかない、そして忘れることも許されない苦い記憶。
(おれには撃退士になる資格なんてなかったのかもしれない‥‥)
だが撃退士にならなければ、この学園に入学しなければ――。
己の過ちを知ることも、ゲオルグのように人間と共存する悪魔の存在を知ることもなかっただろう。

「‥‥」
「どうしたのトオル? 何か暗いわよー」
ユアの言葉でハッと我に返った。
「い、いや‥‥何でもないよ」
「とにかくこの件は個人的な意見書として生徒会に提出しておく。
‥‥まあ具体的な対応が取られるかどうかは分からんが」
そういうと、ゲオルグは資料のコピーを取るため席を立ち、トオルとユアも自分達のレポートに戻ろうとした、その時。

『高等部1年×組の大樹トオルさん。面会のお客様がいらっしゃってます。
至急、校門前の守衛室までお越し下さい』

校内放送のアナウンスに、トオルは顔を上げた。
(おれに面会者? 誰だろう)
家族や地元の友人など、トオルにとって親しい人々はその殆どが悪魔に殺されるか行方不明となった。
今更学園の外から自分に会いに来る者に心当たりはない。
不思議に思いつつも勉強道具をしまい、守衛室に足を運んだトオルを待っていたのは、
ワンピースドレスをまとい、小さな旅行鞄を提げた見覚えのある少女だった。

●本土からの客

「君、あの時の――」
「乃亜サオリ(のあ−)です。その節は大変お世話になりました」
トオルとほぼ同い年の少女は椅子から立ち上がると、礼儀正しく頭を下げた。
セミロングの髪がフワリと揺れ、心地よいシャンプーの香りが微かに鼻をくすぐる。
「突然押しかけて申し訳ありません。父と母から、きちんとお礼をいうよういわれまして」
「お、お礼だなんてそんな‥‥あ、ほら、ディアボロをやっつけたのは他の仲間達だし‥‥」
お土産の菓子折りを渡され、トオルは狼狽した。
「それでも‥‥私の命を助けてくれたのは大樹さんですから。このご恩は、一生忘れません」
(‥‥)
あの時、自分を助けてくれた撃退士達に言えなかった感謝の言葉。
トオルはサオリの顔を正視できず、菓子折りに視線を落とした。
「それと、これも‥‥つまらない物ですけど」
「え?」
慌てて顔を上げたトオルの目の前に、何かを大切そうに捧げ持つサオリの両手があった。
フェルトで作られた、手製の小さな子犬のマスコット。
スマホやカバンに結べるようストラップまで付けられている。
「おれに?」
「あの、へたくそでごめんなさい‥‥ご、ご迷惑でなかったら‥‥」
「え? とんでもない! ちょうど新しいのが欲しかったんだ‥‥助かったよ、アハハ」
平静を装いつつもストラップを受け取ると、なぜだかトオルは心臓の鼓動が早まるのを感じた。
女の子からのプレゼントなど、まだ故郷にいた頃、
クラスの女子からもらったバレンタインの義理チョコ以来だ。
「ええと、乃亜さん――」
「『サオリ』でいいです。大樹さんの方が年上みたいですし」
「そう? じゃあサ、サオリ‥‥は、この後暇あるかな?」
「夕方くらいまでなら‥‥あまり遅くなると、父と母が心配しますから」
「よかった! なら、学園の中でも見学してく? せっかく来てくれたんだし」
「えっ、いいんですか?」
サオリは照れくさそうに顔を伏せ、上目遣いにトオルを見上げた。
「遠慮はいらないよ。どうせ今日は日曜で暇してたんだ」
脳裏に浮かんだ「レポート」という単語を、トオルは頭の中の消しゴムで強引に消し去った。
「ご迷惑でなければ‥‥喜んで」
顔を上げると、サオリはにっこり微笑んだ。

守衛室の警備担当者に事情を話すと、簡単な手続きで見学者用の入構許可証を発行してくれた。
「転移装置や研究施設なんかは部外者立ち入り禁止ですから、気をつけてくださいね」
「はい」
守衛室を出て数分。早くもサオリは、広大な久遠ヶ原学園キャンパスを見回し驚きで目を丸くしていた。
「すごい‥‥噂には聞いてたけど、こんなに広いなんて」
「まあ初等部から大学部までそろってるし‥‥正確な生徒数なんて俺も知らないくらいなんだ」
「ここって人工島なんですよね?」
「そうだよ」
「てっきり、もっとハイテクな未来都市みたいな場所を想像してたんですけど‥‥」
サオリは唇に指を当て、クスリと笑った。
「校舎なんかは意外に普通なんですね。本土の学校とあまり変わらない感じで」
「いわれて見れば‥‥そうかなあ?」
(まあ中の生徒はあんまり普通じゃないけど)
苦笑いするトオルの表情を見て、サオリが慌ててフォローした。
「あ! でも私、こっちの方が好きです! いかにも『学校』って感じだし」
(一体、部外者からどんなイメージ持たれてるんだ? うちの学園‥‥)
「実は私‥‥一度来て見たかったんです、久遠ヶ原学園」
「へえ?」
トオルがその理由を尋ねようとした時。
「あー、トオル発見! 何やってるのよ、そんなトコで」
図書室から引き上げてきたらしいユアとゲオルグだった。
「あれ、その子?」
「先週の依頼で会った乃亜サオリさん。わざわざお礼に来てくれたんだぜ?」
「あ、皆さん、あの時はどうも――」
深々お辞儀するサオリを驚いたように見つめるユアの視線が、
やがてめざとくトオルが装備用ベルトに結んだストラップへと移動した。
「それって、もしや乃亜さんが‥‥」
「ご、ごめんなさい! 本当は皆さんの分も作りたかったんですけど、時間がなくて――!」
トオルがフォローする前に、耳まで赤くしたサオリがペコペコと頭を下げる。
「そんな気にしなくたっていーよぉ☆」
「全くだ。依頼の報酬は既に受け取っている。私的な謝礼など無用と思うが」
悪魔のゲオルグにしてみれば、なぜサオリがわざわざ学園まで礼など言いに来たのか、
そちらの方を不可解に思っているようだ。
「空気読みなさいよ〜ゲオちゃん。あれはね、トオル専用の特別な‥‥」
「ちょっ、ユア! おまえ何勘違いしてんだよ!?」
今度はトオルが赤面してワタワタする番だった。
「さて、私はそろそろ失礼する。生徒会室に行って例の意見書を提出して来なければな」
「そうか? じゃあユア、よかったら付き合わないか?」
「ん‥‥あたしも遠慮しとくよ。レポートもあるし‥‥」
トオルは(おや?)と思った。
ゲオルグが無愛想なのはいつも通りだが、
こんな時大喜びでくっついてきそうなユアの顔がいつになく寂しげに見えたからだ。
「いや、無理にとはいわないけど‥‥」

「あの‥‥私なんかがお邪魔して、やっぱりご迷惑だったんでしょうか?」
道の向こうに去って行くゲオルグとユアの背中を見送りながら、サオリがおどおどと尋ねた。
「気にすることないよ。あいつらも色々忙しいんだろ」
「高等部1年の大樹だな?」
背後から声をかけられてふり向くと、そこに見かけ10歳にもならぬ少年がいた。
「あ‥‥太珀先生」
外見こそ幼い少年だが、実ははぐれ悪魔の教師に向かい、トオルはペコリと頭を下げた。
太珀の実年齢はトオルも知らない。
少なくとも学園長より長生きしているのは確かだが‥‥。
「その女子は誰だ? うちの生徒じゃないな」
膨大な数に上る学園全生徒の顔と名前を正確に記憶しているという悪魔教師の青い瞳が、サオリの顔をじっと見上げている。
撃退士であるトオルにはピンと来た。
太珀は何らかのスキルを用い、サオリをボディチェックしているのだ。
「彼女はおれの知り合いで‥‥怪しい人じゃないです。見学の許可も貰ってますし」
「ああ、すまない。別に疑ってるとかそういうわけじゃない」
スキルを解除し、太珀がトオルに視線を戻した。
「先日の職員会議で決まった方針で、いま学園内の警備強化週間なんだ。君も撃退士なら分かるだろう?
この久遠ヶ原にはいつ天魔側がスパイを差し向けてきてもおかしくないからな」
「ええ、まあ‥‥」
「彼女は問題なさそうだ。
ただ、ここは一般人には何かと刺激が強い場所だし‥‥きちんとエスコートしてやれよ」
そう言い残すと、太珀は職員室のある校舎へと立ち去った。
「‥‥あの、今の男の子は?」
「子供じゃないよ。れっきとした先生で‥‥あの人悪魔なんだ」
「えっ!?」
サオリは驚きに目を丸くした。
一般人にとって「天魔」といえば、真っ先に思い浮かぶのは
ディアボロやサーバントといった恐ろしげな怪物だろう。
だが彼らの上位存在である天使や悪魔となると、そのシンボルともいえる翼を隠してしまえば
外見上人間と見分けが付かなくなる者も多い。
学園内にいるはぐれ悪魔でいえば、太珀やゲオルグがいい例だ。
「あ、でも安心して。太珀先生は人間の味方だから。
他にも僕らに協力して一緒に戦ってくれる悪魔や天使が、この学園には大勢いるんだ」
「そう‥‥なんですか」
サオリが頷く。もっともその表情にはどこか「腑に落ちない」という一片の戸惑いを隠せないようだが。
(無理もないか‥‥)
トオル自身、「彼ら」の存在を受け入れるのに半年の時間を要したのだから。

●サオリの告白

学生食堂で遅めのランチをとった後、トオルはサオリを案内し、学園内の校舎やクラブ棟などを見せて歩いた。
「『撃退士養成校』っていうから、もっと堅苦しい、軍の士官学校みたいな場所かと思ってました‥‥」
「あはは、実はおれも入学するまではそう思ってた。でも実際は普通の学校よりフリーダムだろ?」
まあフリーダム過ぎてたまにとんでもない騒動を招くこともあるが。
美術室に寄ると、文化祭や新入生歓迎旅行など、
トオル自身も参加した学園行事の記念ピンナップ写真が多数展示されていた。
「いいなあ、久遠ヶ原学園‥‥私も入りたかったな」
「サオリも適性試験、受けたのか?」
「はい。落ちちゃいましたけど」
トオルはやや意外に思った。
目の前のおとなしげな少女が、
そもそも撃退士になって天魔と戦うつもりだったということが信じられなかったのだ。
「今の父と母‥‥本当の親じゃないんです」
「え?」
「本当の両親は‥‥私が10歳の時、天魔に殺されました。
家族旅行の先で奴らの怪物に襲われて‥‥ディアボロかサーバント、どちらかは分かりませんけど」
俯いたサオリの横顔に髪がかかる。
表情こそ見えないが、その声は微かに震えていた。
「今でも夢に見ます。血の海になったパーキング、怪物の爪でバラバラにされた父と母‥‥
まだ小さかった私は、わけもわからずただ泣きじゃくってた‥‥」
「あの‥‥ちょっとお茶して休もうか?」
トオルはサオリの肩にそっと手を回し、彼女を美術室から連れ出した。

休日のせいか、学園内のカフェテリアは人気もまばらだった。
「ごめんなさい。私ったら取り乱して‥‥」
冷たいオレンジジュースを飲んでいくらか気分が落ち着いたのか、サオリはばつが悪そうに笑った。
「いや、気持ちは分かるよ。おれの家族だって、半年前悪魔に――」
「そうだったんですか‥‥でも羨ましいです。トオルさんには、奴らと戦える『力』があるから」
「いや、それは」
「‥‥実は‥‥ご相談したいことがあるんです」
再び真顔に戻ったサオリはいったん言葉を切ったが、やがて意を決したように続けた。
「町の人達が‥‥おかしいんです」
「どういうこと?」
「この前私の町に来たとき、自警団の団長がトオルさん達に絡みましたよね?」
「ああ、あのグラサン野郎か」
「浦部影尭(うらべ・かげあき)――2年ほど前、町に越してきた男です」

『自分は撃退士ではないが、昔は外国の民間軍事会社で傭兵を務めていた。
その経験を活かして町の安全に貢献したい』という浦部は自ら自警団を組織。
豊富な知識で天魔の接近を早期に報せる監視カメラの設置や住民の避難計画を町役場に提案し、
実際にディアボロによる被害を減らした実績から次第に住民達の人望を得て、
今や「影の町長」と呼ばれるまでの勢力を誇っているという。

「その浦部が、最近妙なことを言い出してます。『このまま撃退士を頼り続けてもラチが開かない。
むしろ悪魔と交渉して状況の打開を図るべきだ』と」
トオルは耳を疑った。
「悪魔と交渉? あのオッサン正気なのか?」
「浦部のいうには‥‥犯罪者や高齢で先が長くない人達、
つまり『町にとって不必要な人間』を定期的に生け贄として悪魔に差し出せば、
他の大部分の住民の安全は保障される。ついでに天使の軍勢からも守ってもらえるって‥‥」
「冗談じゃない! そんなの許されるワケないだろ!?」
トオルは思わず席を立ち怒鳴っていた。
テーブルが大きく揺れ、カップからコーヒーがこぼれる。
「あ、ごめん。つい‥‥」
「いえ、私もそう思います。でも日頃からディアボロの襲撃に怯えてる町のみんなは、
だんだん浦部の言葉に傾いてきて‥‥特に自警団のメンバーはすっかりあいつに洗脳されて、もう手下同然の有様なんです」
「だいいち『悪魔と交渉する』たって、どうやって?」
「よく分からないんですけど‥‥何でも『ゲート』を開いてどうこう、とか」
トオルは息を呑んだ。
「ゲート」に関する知識を持っているということは、浦部はただの傭兵上がりではない。
親悪魔派組織のシンパか? いや、あるいは奴自身が――。
「今の話、君から生徒会の人達に詳しく説明してもらえないかな?
町の住民からの告発さえあれば、おれ達が行って直接浦部を締め上げてやれる!」
「ごめんなさい‥‥もう時間がないんです。私の帰りが遅くなれば、浦部や自警団の連中に疑われる。
そしたら養父母に害が及ぶかもしれません」
サオリは鞄を開け、一通の封書を取り出した。
たった今トオルに打ち明けた内容と同じ告発状。彼女自身のサインと拇印が押されている。
「これを、学園の誰か偉い人に‥‥勝手なお願いですが、今の私にできるのは、こんなことくらいしか‥‥」

久遠ヶ原島の港へサオリを送りに行く頃になると、既に陽は西に傾き、空と海が一面の茜色に染まっていた。
「本当に大丈夫なのか? その、できれば学園に――」
トオルは彼女を町に帰したくなかった。
もし浦部が裏で悪魔側とつながった人物なら、「久遠ヶ原に行った」というだけで既にサオリはマークされているかもしれない。
「‥‥」
ふいにサオリがトオルに歩み寄ると、おもむろに抱きついてきた。
(えええ!?)
実際にはほんの一瞬の出来事であったが、トオルにとっては時が止まったかのような衝撃。
腕の中で、少女の華奢な体が震えている。
「私だって怖い‥‥怖いです。でも、これまで大切に私を育ててくれた父と母を見捨てられません。
それに、これから故郷の町がどうなるか分からない時に、自分だけ安全な場所に隠れてるなんて‥‥できません。見届けたいんです」
サオリは体を離すと、軽く深呼吸して笑った。
「ありがとうございました。トオルさんに会って‥‥何だかひとりで戦える勇気を貰ったような気がします」
「サオリ‥‥無理すんなよ。必ず助けに行くから――それまで我慢してくれ!」
最初に会った時と同じく深々お辞儀すると、少女はフェリーに向かい歩き去っていった。

サオリを見送った後、トオルはその足で生徒会室に向かった。
一刻も早く事態を伝えるためである。
あいにく生徒会の主だったメンバーは会議中、
受付で応対に出たのはどこかボーっとしたヒラ委員の女子生徒だった。
「そら大事やな〜。ほな会議が終わったら役員の人に伝えるさかい、これに緊急時の連絡先書いてや」
(おい大丈夫かよ? 何か頼りねーな)
「本当に頼むよ? 町が悪魔に乗っ取られるかもしれないんだから」
「分かっとるがな〜」
不安を覚えつつも、差し出された用紙にトオルは自分の携帯番号を記入した。


その夜、寮の自室でまんじりともせず待っていたトオルの机で、スマホが鳴った。
『大樹トオルさんですね?』
急いで電話に出たトオルの耳に、どこかで聞き覚えのある少女の声が響いた。
『夜分遅く申し訳ありません。生徒会長の神楽坂茜と申します』
トオルは内心で仰天した。
才色兼備の生徒会リーダ−、撃退士としても「学園最強クラス」と噂される茜本人から直々に電話が来たのだ。
入学式の時に壇上に立つ姿は見ているが、直に話をするのは初めてである。
『例の町の件は委員の者から聞きました。ゲオルグさんから出された意見書も拝見してます‥‥確かに、現地では看過できない事態が起きているようですね』
茜の説明によれば――。
ゲオルグもいったとおり、現段階で生徒会が表立って動くことは難しい。
だがこうして住民から内部告発があった以上、撃退庁とも連携し、非公開の依頼として町の内情を調査することは可能であろうと。
『もちろん証言者の乃亜さん、そして彼女のご家族の安全には万全の配慮を払うつもりです』
「おれも参加させてください! 何か手伝えることがあったら」
『ご協力感謝します』
電話の向こうで、生徒会長の少女がふっと微笑む気配。
『その件も含め、もう一度こちらにいらして詳しいお話を聞かせて頂けますか? よろしければ明日にでも』
明日の午前10時。場所は生徒会室近くの応接室。
トオルに断る理由などない。
二つ返事で面会の約束を決めると、茜との通話は終わった。

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