イメージノベル『Eye of The World』 作:ちまだり
第3話「人と天使と悪魔と」
●久遠ヶ原学園〜応接室
壁の時計をちらっと見やると、時刻は午前9時40分。
(ちょっと早かったかな? いや大事な面会なんだ、遅刻するわけにいかない)
応接室のソファに座り、大樹トオル(だいき−)はそわそわしながら10時にやって来るはずの面会相手を待っていた。
生徒会長・神楽坂茜。年齢こそトオルと大差ないが、眉目秀麗にして文武両道に秀で、撃退士としても「学園最強候補」とまで噂される彼女は彼にとってまさに雲上人である。
これが別の理由による面会であれば、あたかもアイドルに出会うかのごとく舞い上がっていたかもしれないが、今はとてもそんな気分ではない。
昨夜の電話では非公式ながら協力を約束してくれたものの、ただでさえ日本各地で天魔との戦いが激しさを増している今、あの小さな町を救うため生徒会がどこまで力を貸してくれるのか、それは茜本人に会ってみなければ分からない。
(それでも、なんとか説得しなくちゃ‥‥サオリのためにも)
昨日の夕方港で別れた少女、乃亜サオリ(のあ−)の後ろ姿を思い返し、改めて決意を固めるトオル。
焦る気持ちを静めようと大きく深呼吸したその時、ポケットの中でマナーモードにしておいたスマホがバイブした。
通知された名前は彩乃ユア(あやの−)だ。
「何だよあいつ? よりによってこんな時に」
思わずムッとするが、面会時刻までにはまだ多少間があるので渋々通話ボタンを押した。
「もしもし? 何の用だ、いま大事な――」
『バカね、斡旋所の掲示板見てないの? サオリちゃんの町がまたディアボロに襲われてるよ! それも今までないくらいの大群に!』
「ええっ!?」
『今50名の緊急募集がかかってる。集まり次第出発よ。あたしもゲオちゃんと行くけど、一応報せたからね!』
返事も聞かないまま通話は切られた。
「‥‥」
トオルは呆然としてソファから立ち上がった。
間もなく茜と約束した10時だ。
しかし――。
「‥‥くそっ!!」
ほんの僅かな躊躇いの後、少年は応接室から飛び出すと斡旋所を目指し走り出していた。
●群がる魔獣
転移装置の前には既に大勢の撃退士達が集まり、各々の武器や装備品をチェックしていた。
「あっトオル! こっち、こっち!」
学年もジョブも様々な撃退士達の間から、飛び跳ねるようにしてユアが手を振る。
その傍らにはゲオルグの姿もあった。
「はあはあ‥‥ま、間に合った。えーと、状況は?」
肩を上下させ呼吸を整えながらトオルは尋ねた。
斡旋所ではろくに説明も聞かず、ただ参加申込書にサインだけして駆けつけて来たのだ。
「落ち着け。まだディアボロの群れは町まで到達していない」
呆れたようにゲオルグが答える。
町の近郊に設置された監視カメラの1台がディアボロ群の接近を捉え、久遠ヶ原学園へ自動的に通報したのだという。
その意味では、監視システム構築を提案した町の自警団長・浦部影尭(うらべ・かげあき)の先見の明を認めざるを得ない。
(でもおかしいな? サオリの話じゃ、あの浦部は‥‥)
町の住人達を言葉巧みに誑かし、悪魔陣営への帰順と冥魔ゲートの開放を企てている――彼女の証言を信じる限りではそのはずだ。
だが野良ディアボロ達を陰で操っているのが浦部だとすれば、なぜこの時期、わざわざ撃退士を呼び寄せるような目立つ行動を起こしたのか?
(何を企んでるんだあいつ‥‥もしかして、これも何かの罠か?)
一抹の不安がトオルの胸を過ぎるが、今はそんなことを詮索している場合ではない。
「こんな大人数の依頼に参加するのは初めてだ。指揮はゲオルグが執るのか?」
「いや、今回は私ではない」
「大樹君だね?」
人混みをかき分けるようにして、眼鏡をかけた細身の上級生が声をかけてきた。
「今回の指揮を執る大塔寺源九郎だ。よろしく頼むよ」
「大塔寺さんて‥‥えっ、生徒会書記長の!?」
直に会うのは初めてだが、生徒会主要メンバーの1人にして神楽坂茜の「懐刀」ともいわれる撃退士を前に、トオルは緊張に身を固くした。
「いやぁ、いきなりの依頼でね。『猫の手も借りたい』てんで僕までかり出されちゃったよ。ははは」
気さくに笑ってから、源九郎は不意に真顔となり声を落とした。
「会長から話は聞いてる。この機会に町へ行ったら、それとなく探りを入れてみるつもりだ。だから君は‥‥気持ちは分かるけど、早まった真似は謹んでくれたまえよ」
「‥‥はい」
書記長自ら乗り出してきた以上、浦部への対応は既に生徒会にバトンタッチされたと考えてよいだろう。
(今のおれに出来ることは‥‥撃退士としてサオリの町を守り抜くだけだ)
「こら、戦いの前だってのに何しょぼくれてんのよ? サオリちゃんにいいトコ見せるチャンスだぞ!」
黙り込んで俯いたトオルの肩を、背後からユアがどやしつけた。
「何だよ、こいつら‥‥」
転移装置から町の近郊に移動して間もなく、地平線の彼方から接近してくるディアボロの群れを発見し、トオルは呆気に取られた。
大半は中小型の下級ディアボロだが、その数は軽く百を超える。
「こんなのもう野良じゃないよ。やっぱり裏で悪魔が操ってるんだわ!」
「それにしては種類もバラバラであまり統制がとれてないように思うが‥‥」
ユアが叫び、ゲオルグは慎重に敵の動静を観察している。
ともあれ、1匹たりとも町への侵入を許すわけにはいかない。
源九郎の指揮のもと、撃退士達は臨時に3〜5名ほどのチームを編成し、各班がディアボロ群の進撃を阻むため横に広く布陣した。
周囲の空気を震わせるような咆吼と共に、突如として巨大な蒼銀の竜が出現した。
バハムートテイマーである源九郎が召喚したティアマット。彼の分身ともいうべき竜が突進し、目前まで迫ってきた先頭のディアボロどもを蹴散らした。
それを合図のように、他の撃退士達も各自の魔法や射撃武器、召喚獣を放って一斉に攻撃を開始した。
ある者は背中から白く輝くアウルの翼を広げて空へ舞い上がり、空中で飛行型ディアボロを迎撃する。
さらに交戦距離が詰まると、ルインズブレイド、阿修羅、ディバインナイトなど白兵戦を得意とする者達が剣や刀、槍などをかざして応戦。
状況は乱戦に突入した。
トオルはいつものごとくユア、ゲオルグとチームを組んで戦っていた。
ゲオルグの魔法による援護射撃のもと、ユアの鉤爪とトオルのツーハンデッドソードが狼に似たディアボロを切り刻む。
だが一匹倒しても、後から後から新手が押し寄せてくる。
「くそっ、これじゃキリがない‥‥」
顔についた魔獣の返り血を手の甲で拭いながらぼやいた時。
トオルは異様な気配を感じ、とっさに町の方に振り向いた。
ゲオルグとユアも、ほぼ同時に同じ方向を凝視していた。
町の上空に、魔方陣のような円形の光が浮かび青白く輝いている。
さらにそこから太い光柱が伸び、少しずつ町に降りようとしていた。
「ゲートだ。何者かが町に冥魔のゲートを開こうとしている」
ゲオルグが眉をひそめた。
「まずいな‥‥あのゲートが完成したら、こいつらとは比べものにならない強力なディアボロどもが直接町に乗り込んでくるぞ」
「何だって!?」
驚いたトオルが叫んだ時、ゲオルグのスマホが鳴った。
源九郎からの緊急連絡だ。
『こっちは敵の数が多すぎて、防衛ラインを維持するのが精一杯です。ゲオルグさん、申し訳ないですが手空きのメンバーを連れて町へ急行、ゲートの生成を何とか食い止めてください!』
「了解した」
ゲオルグは同班のトオルとユア、さらに近くにいた撃退士5名を選び、町への全力移動を開始した。
●悪魔の傀儡
つい先日、野良ディアボロの討伐で訪れたばかりの町。
だが今回は様相が一変していた。
撃退士達が町に一歩踏み込むなり立て続けに銃声が轟く。
建物の窓や物陰に潜んだ自警団のメンバー達が、猟銃や拳銃で狙撃してきたのだ。
もっともそれら一般人用の銃では、撃退士の体にかすり傷ひとつ負わせることもできなかったが。
もちろん透過能力を有する天魔にも一切通用しないわけだから、これらの武器は町を力尽くで乗っ取る目的で違法に入手されたものだろう。
往来に人影はなく、まるでゴーストタウンだ。
自警団に脅されたか、それとも関わり合いを怖れてか、住民達は各々の家に隠れて息を潜めていると思われる。
「あの浦部という男、とんだ食わせ物だったな。これでは自警団どころかテロリスト集団だ」
サオリの証言をまだ知らないゲオルグも、大体の事情を察したように苦笑した。
「雑魚連中はほっときましょ。それよりゲートを開こうとしてる親玉を見つけなきゃ!」
ユアの言葉に促される様に、上空に浮かぶ魔方陣の直下、すなわち町の中心部を目指し走り出す撃退士達。
浦部は町の中央広場に立っていた。
右の掌を高く天に差し上げ、サングラスの下の口許は怒りと焦燥に歪められている。
「くそっ‥‥野良ディアボロども、よりによって何故こんな時に‥‥!」
(あれ? こいつが呼んだんじゃないのか?)
訝しむトオルだが、次の瞬間、その視線は浦部の足元近くに縛られ座らされたサオリとその両親に釘付けとなった。
「サオリ!」
「大樹さん、気をつけて! そいつは‥‥」
「フン。やはり貴様が密告者だったか」
「待て! その人達は関係な――」
トオルが叫び終わる前に、浦部の左手から炎の球が放たれる。
人肉が焦げる嫌な臭いと共に、3つの焼死体が地面に転がった。
「‥‥そんな‥‥」
絶句するトオル。
「何てコトするのよ、この悪魔!」
ユアが叫ぶ。
「いや、悪魔ではない‥‥奴はヴァニタスだ」
苦々しい表情でゲオルグがいった。
ヴァニタス――人間でありながら悪魔に魂を売り渡し、その代償に「力」を分け与えられた者達。その力はディアボロを遙かに凌ぐといわれる。
「何で‥‥何でだよ? あんたも人間なんだろ?」
学園の授業で、知識としては知っていた。
だが実物を目の前にしてトオルは問いかけざるを得ない。
なぜ同じ人間が、己の魂を差し出してまで悪魔の手先になりたがるのか?
「傭兵稼業で世界の戦場を渡り歩いてるうちに色々と学んだのさ。所詮この世は弱肉強食――ならばより強い悪魔に与するのも、ひとつの選択ではないかね?」
「転職先を間違えたな。冥魔の世界は、おまえさんが考えてるほど甘くないぞ?」
「黙れ! 裏切り者のはぐれ風情が!」
ゲオルグの背中から広がる黒い翼を目にした浦部が、続いて炎の攻撃魔法を放つ。
よけそこねたゲオルグは胸に直撃を受け後方へ吹っ飛んだ。
「大丈夫か!?」
「ぐっ‥‥。やれやれ、残念ながら実力はあちらが上か」
辛うじて起き上がりつつ、ゲオルグがこぼす。
元悪魔といっても、久しく人間の魂を吸収していないゲオルグの力はせいぜい中堅の撃退士レベル。それでもこの場のメンバー中では最も強いはずだが。
同行の撃退士達はゲオルグも含めてダアトが3人、インフィルトレーターが2人、アストラルヴァンガードが1人。
前衛に出て戦えるのは阿修羅のユアとルインズブレイドのトオルだけだ。
「それじゃ、手も足も出せないってことかよ?」
「そうでもないぞ。今、奴はゲートの生成を急いでる。つまり戦闘には本来の力の半分くらいしか回せないということだ」
その場から動かず、相変わらず右手は上に伸ばした男をちらっと見やり、ゲオルグは素早く判断を下した。
「私が奴を挑発するから、その隙に大樹と彩乃が突入しろ。他の者は後方から援護射撃だ」
いうなりゲオルグは宙に舞い上がった。
トオルとユアも互いに目配せし合い、地面を蹴って駆け出す。
「近頃のヴァニタスは口の利き方を知らんのか? 格上の悪魔に対しては敬語を使うものだ」
「何だとっ!?」
憤怒の形相でゲオルグに左手を向ける浦部だが、同時に迫ってきた2人に気づいたか、とっさに目標をユアに変えて衝撃波を放出した。
ひとたまりもなく弾き飛ばされるユア。
残るトオルが振り下ろした刃を紙一重でかわし、その脇腹に膝蹴りを叩き込む。
重い一撃に肋が折れる激痛。
トオルは吐血して倒れかけた。
だが寸前で踏み留まると、全身の力を込めて再び大剣の切っ先を突き出した。
「うおぉぉぉっ!!」
●オルクス・ムンディ
鈍い音と共に、大剣が深々と浦部の腹に食い込んだ。
「ゴフっ‥‥!」
サングラスが外れ、男の口からも血の泡が溢れる。
「こ、このガキ‥‥」
力尽きてその場に跪いたトオルに至近距離から魔法を浴びせようとした浦部に対し、仲間の撃退士達からの銃撃と攻撃魔法が殺到した。
獣のような断末魔の悲鳴を上げ、浦部が倒れる。
ヴァニタスが息絶えると共に、上空で生成途中だったゲートも消滅した。
「おい、大丈夫か!?」
駆け寄ってくる仲間のアスヴァンの声は、トオルの耳に入ってなかった。
「‥‥サオリ‥‥」
脇腹を押さえてよろよろ立ち上がり、無惨な焼死体となった少女の方に歩き出す。
その歩みがふと止まった。
地面に横たわる焼死体は2人だけ――サオリの養父母だ。
その真上の中空に、光り輝くオーラに包まれた少女の姿があった。
年齢と顔立ちこそサオリによく似ているが、白いローブに身を包んだ気高い姿はまるで別人のようだ。
そして彼女の背中から左右に広がるのは、純白の翼。
「ご苦労だった、撃退士ども。この地に冥魔のゲートを開かれては何かと厄介だったからな」
少女の声が響き渡った。
「サオリ‥‥じゃないのか?」
トオルは呆然として「少女」の顔を見上げた。
「我が名はゾフィエル。栄えある天界の眷属にして『オルクス・ムンディ』が1人」
「『オルクス・ムンディ(世界の眼)』だと?」
ゲオルグが驚いたように声を上げた。
「冥魔陣営にいた頃、噂を聞いた覚えがある‥‥メタトロン直属の諜報部隊か!?」
「そんなバカな! 太珀先生も、サオリは問題ないって――」
「こいつらは天使陣営の中からえり抜かれたスパイのエリート部隊だ。太珀ほどの悪魔が見抜けなかったのなら‥‥たぶん学園にいる者は、誰1人彼女の正体を見破ることはできなかっただろう」
トオルは頭の中が真っ白になった。
「おれを‥‥騙してたのか?」
「フム、どう説明したものか‥‥そこのはぐれ悪魔、知ってるならおまえから教えてやれ」
「‥‥サオリがおまえを騙したわけではない」
ゲオルグが言い辛そうにトオルに告げた。
「彼らの偽装は完璧だ‥‥たとえば人間世界に潜入する場合、外見だけではなく意識や記憶まで――つまり完全な『別人格』を作り上げ、彼ら自身はその無意識の奥底に潜んで諜報活動を続ける。何年も、あるいは何十年もかけて‥‥」
「その通り。本物の乃亜サオリは10歳の時、サーバントに捕獲され我の元に運ばれてきた。ちょうど人間界への潜入を命じられていた我は、彼女の感情を抜き取る際にその記憶と外見を借りて任務を遂行してきたというわけだ」
「じゃあ野良ディアボロが町を襲っていたのも‥‥」
「察しの通り。別に操らずとも『魂』の気配を強めるだけで奴らは寄ってくる。人間界において悪魔への敵意を広げ、結果として天界側に傾くよう情報操作するのも任務の一環だからな。まあヴァニタスが来て冥魔ゲートを開こうとしたのはいささか想定外だったが」
「落ち着いて聞けトオル。おまえが会った『乃亜サオリ』は、ゾフィエルが死んだ女の子の記憶を元に作った別人格だ。無意識下から操られていたといえ‥‥彼女自身におまえを騙しているという自覚はなかったはずだ‥‥最後まで」
「なら、サオリの人格はどうなったんだよ!?」
「消去した。もう用済みだからな」
トオルの喉から声にならぬ絶叫が迸った。
ケガの痛みも忘れてゾフィエルに斬りかかるが、彼女は難なくかわし、一段高く舞い上がった。
「おまえたちとの戦いは我の任務外だ。また新たな人格を作り、別の土地でメタトロン様のため諜報活動を続行しなければならぬ。‥‥さて、次はどんな『人生』を送ることになるかな」
どこか遠くを見るような眼差しで呟くと、ゾフィエルは大空へ飛翔し、そのまま何処かへ飛び去っていった。
「逃げた‥‥?」
「いや見逃されたんだ‥‥彼女の力は少なく見積もっても大天使以上。今の我々ではとても勝ち目はなかったろう」
トオルはがっくりと地面に両手を突いた。
噛みしめた唇に血が滲み、悔し涙が滴り落ちる。
「たとえ偽の人格でも‥‥サオリは16年間、確かにこの世界で生きてたんだ‥‥それを‥‥!」
「あんまりだよ! こんなの酷すぎる!」
両手で顔を覆い、ユアも泣きじゃくった。
「あいつら、人間を何だと思ってるの!?」
「私がいうのも何だが‥‥大半の悪魔や天使はあんなものだ。人間は魂や感情エネルギーを回収するための『資源』、あるいは戦力として利用できる『道具』‥‥まあ資源にも道具にもならないはぐれや堕天はそれ以下の存在なんだろうが」
「ちっくしょぉーーっ!!」
トオルは拳を大地に打ち付けた。
「おれは強くなる‥‥強くなって、いつか天使も悪魔も、この星から叩き出してやる!!」
「容易ではないぞ」
「ゲオルグ、もちろんあんたは別――」
「そういうことではない。悪魔も強いが、天使はそれ以上の強敵だ。冥界と魔界が同盟を組んで天界に対抗して、それでも勝てるかどうか分からない。おまえは‥‥いや我々はそんな途方もない勢力を相手に回して、これからも戦い続けるんだ」
やがてディアボロの集団を撃退した源九郎の本隊が町へ到着。負傷者へ治療を施した。
リーダーの浦部を失った自警団メンバーは、逃げだそうとした者を含めて全員の身柄を拘束。彼らは「悪魔側への協力者」として裁かれることになるが、それは警察と撃退庁の仕事だ。
ゾフィエルが去った以上、今後この町が野良ディアボロに襲われる可能性はこれまでにくらべ格段に低くなるだろう。
トオル達にとってはそれがせめてもの救いだった。
●エピローグ
久遠ヶ原に帰還しておよそ2週間、トオルは授業にも出ず、学生寮の自室に籠もって放心した日々を送った。
その間、学園側から1通のメールが届いていた。
内容はトオルが敵のスパイ(ゾフィエル)を久遠ヶ原学園内に連れ込んだ行為の是非について。
サオリが立ち寄った島内施設(幸い機密事項に触れるような場所はなかった)を厳重にチェックした結果、何らかの破壊工作が行われた痕跡は見いだされなかった。
相手の正体が上位天使と推定されること、関係者の証言、その他諸々の事情を鑑み――この件はトオルにとって「不可抗力の事態」、すなわち「何らの責任もなし」というのが学園側の結論だった。
そして今日、昼近くになって、ようやくトオルは重い足取りで学園に向かっている。
いつもの交差点で信号待ちをしていると、
「久しぶりだな。もう大丈夫なのか?」
背後からゲオルグの声が聞こえた。
「‥‥」
無言で振り向きざま、少年ははぐれ悪魔に渾身のパンチを見舞った。
その拳はあっさりかわされ、腕を取られて合気道の要領で路面に投げ飛ばされる。
全身がバラバラになるかと思うほどの衝撃。
だがその痛みが、今のトオルにとってはなぜか心地よく思われた。
仰向けに倒れて見上げる青空に一片の雲が漂っている。
「今の動きはなかなかよかったぞ。少しは腕を上げたんじゃないか?」
何事もなかったかのように、ゲオルグがトオルを助け起こす。
「そういえば、彩乃がおまえのことを随分心配してたぞ。クラスで会ったら礼くらい言っておけ」
「ユアが?」
そういえば、部屋に放り出したスマホに何度か不在着信や、やたら絵文字の多い励ましのメールがあったっけ――トオルはぼんやりと思い返した。
2週間ぶりに受ける授業はアリス・ペンデルトンの「退魔史」。
「おお、大樹か。色々大変だったようじゃのゥ」
教師アリスが、心配そうに声をかけてきた。
「すみません、アリス先生。例のレポートですけど‥‥」
「いやいや心配するな。『気持ちは分かる』などと軽々しくは言えぬが、こうして授業に出てくれただけでも嬉しく思うゾぃ」
「‥‥ありがとうございます」
深々頭を下げ、再び顔を上げたトオルの眼前に――。
『罰ゲーム』と黒マジックの大文字で書かれたダンボール箱がデンと置かれていた。
「‥‥‥‥あの‥‥引くんですか? おれも」
「それはそれ、これはこれ☆ 例の依頼に参加した彩乃も引いたゾぃ? ここは公平にいかねばな♪」
「ユアの罰ゲームは何だったんだ?」
「あたしは『ボランティアで無報酬の依頼を一回受けること』だって。ま、しょーがないよね」
(何だ、意外にまともだな)
内心ホッとしたトオルは、箱の上部に開けられた小さな穴に片手を突っ込み、中の紙片を一枚適当に取り出した。
『このクジを引いた者が女子なら学ラン、男子ならチアガールのコスで校庭を10周ランニングすること』
「なっ、なっ‥‥何じゃこりゃぁ〜〜!?」
シャツとズボンの上から着用する希望は即却下。
それどころか、
「せっかくの機会じゃ。ついでに下はブルマを履くのじゃゾ♪」
「ちょ、何が『せっかく』なんですかっ!? せめて下着くらいは‥‥」
必死の抗議は、
「男だろ大樹! 覚悟を決めろ!」
「そうだ! 俺なんか女子用スク水で水泳の授業受けさせられたんだぞ? それに比べれば‥‥ううっ」
「頑張れ! 俺達もしっかり見物、もとい応援してやるから!」
同情とも恫喝とも怨嗟ともつかぬ男子生徒達の声と、
\キャー大樹クーン!!/
という女子生徒一同の黄色い歓声に問答無用で押しつぶされた。
しばらく後、校庭にはミニスカのチアガールコス(下はブルマ)に身を包んだトオルが顔を引きつらせてランニングする姿があった。
撃退士の体力を以てすれば、校庭10周くらいは何ほどのこともない。
だが校庭にズラリと並び無駄に大声で声援を送るクラスメイト達の存在、そして校舎の窓から注がれる幾百、幾千もの視線はもはや罰ゲームの域を超えてある種の拷問といっても過言ではなかった。
(えーいこっち見んな! 真面目に授業受けてろ!)
授業も何も、ギャラリーの中には女性教師まで混じっている始末。
そんな中、ふと気づくと女子用体操服に着替えたユアがぴったり横について併走していた。
「1人じゃさすがに恥ずかしいでしょ? 付き合ったげるよ♪」
「ユア、おまえ‥‥」
ちょっぴり照れくさそうにウィンクするクラスメイトの少女を、トオルは真顔で見つめた。
「‥‥それはともかく、その手に持ったカメラは何だ?」
「決まってるじゃない! こんなお宝映像、滅多に撮れるもんじゃないわっ!」
いうが早いか、ユアは手にしたデジタルビデオカメラのスイッチをオンにする。
「あ、モジモジしちゃダメ! もう女子生徒30人以上から予約が入ってるんだから☆」
「おい! この動画売るつもりか!?」
「遠慮しなくていいわよー、ギャラはきちんと払うから。これで学園アイドルデビュー確定だね♪ そうそう、実は男子からもちらほら予約が‥‥」
「うわあああああっ!! 聞きたくない聞きたくない!!」
両耳を手でふさぎ、トオルは一気にダッシュした。
(ちくしょーっ! こうなりゃヤケだ!)
完全に開き直り、足にまとわりつくミニスカが風でまくれかけたりすれば「イヤン☆」と内股でポーズを取ったりする。
その度にやんやの大喝采。
「あのな、売るのはいいけどパンチラのシーンはカットしろよ? ‥‥おまえは持ってていいから」
小声で囁くと、
「え? う、うん。OK☆」
ユアはちょっと頬を赤らめながらもぐっとサムズアップした。
抜けるような青空の下、クラスメイト一同の応援と全校生徒が注目する中、撮影役のユアと共に女装姿で走るトオル。
「青春の1頁」というのは少々大袈裟かもしれないが、これもまた久遠ヶ原学園生徒としての日常の1コマに他ならない。
『いいなあ、久遠ヶ原学園‥‥私も入りたかったな』
あの日サオリの呟いた何気ない一言が、ふと脳裏に蘇った。
(ゾフィエルは『消した』といってたけど‥‥もしかしたら今ユアが撮ってる動画データみたいに何かの形で記録を残してるかもしれない。だとしたら‥‥)
――いつかまた、会えるのだろうか。
この空の何処かから、サオリが笑いながら見守っていてくれる。
トオルにはそんな気がしてならなかった。
<了>
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