二つの理想

■クエストシナリオ


担当:みそか

対応レベル:

難易度:

成功報酬:-

参加人数:31人

サポート参加人数:-人

冒険期間:2007年08月01日
 〜2007年08月31日


エリア:イスパニア王国

リプレイ公開日:10月05日21:50

●リプレイ本文


●ザラウズ・領主館
「この際はっきり言おう。ぬしは英雄の器はあるかもしれないが、為政者たる器は無い。
国の行く末を憂うならとっとと降伏して舞台から降りるのが良かろう。いやならその器を必死で身に付けるのだな」
 低い声で、しかししっかりと伝わるような確信を持ったアルバート・レオン(ec0195)の声が部屋に通る。
 先の戦いで少し壁が崩れかけたその部屋には、アルベルトをハジメとしてアルベルト軍重鎮、そして冒険者たちが集まっていた。

「‥‥確かに先の戦いでのアルベルト様の采配は、下手をすれば軍全体の壊滅を招きかねないものだったよ。だけど、こうやって相手を追い返しているわけだし、このまま‥‥」
「否、端的に言ってこのままでは俺達の敗北は必至だ。‥‥あるいはうまく立ち回れば、このザラウズ周辺だけは保つことができるかもしれないが‥‥そんなことは勝利ではない。断じて違う」
 地図に駒を置き、ミトナの発言に首を振るカミロ。彼とて悪戯に過去を掘り起こすつもりなどない。
 しかし、今、たった今、このナバーラという狭い国には、駒を置くのも億劫になるほどの勢力が入り乱れているのだ。
「カスティリアやアラゴンが本腰を入れてきた時‥‥此処は間違いなく標的になるでしょうね。もとより独立を目指す私たちには利用する価値はない。価値なきものは、征服される‥‥」
 ジャパンからわたってきたらしい、久しぶりの熱い茶で喉をうるおす秋朽緋冴(ec0133)。カスティリア・アラゴン・ジュリオが争い、疲弊している間にナバーラを奪還する‥‥そんなシナリオも頭の中で描けないことはないが、それはもはや願望以外の何者ではないことは、彼女でなくとも分かっていた。

「それで、どうするのだ? まさか白旗を上げて勝ち馬に乗るというわけにもいかないだろう」
 いかに先に進むためとはいえ、現実を否定する時間は短ければ短いほどいい。
 ナバーラ解放の声に呼応して、デヴァーレだけではなく義勇軍がこのザラウズに集まってきている。直接的にであれ、間接的にであれ、この同一の志を持った集団の使用方法を考えなければならない。

「結論は簡単だ‥‥アルベルト、命令の変更を求める。殲滅から‥‥捕虜確保にだ」
「!!」
 カミロの言葉に、一斉に視線をこわばらせるアルベルト軍順珍、そしてアルベルト本人! この戦いが、この町が、そして彼らの考えていることが!!
「それらすべてに目をつぶり、茨の道を進もうというのか?」
 低く‥‥ふだんの彼、そして彼の容貌からは考えられないほど低い声を発するアルベルトに、その場の全員が息を呑む。
 この選択肢、これまでのように英雄叙事詩気取りではいけなくなる。だが‥‥
「進む道が残されているだけ、まだ救いがあるってことかぃ、カミロの旦那?」
「でも、それにしたって誰がいくんや? この戦線、超えられるとすると‥‥」
 場の雰囲気を僅かながらに和ませた如月のお陰か、やっとのことで喉の奥に詰まっていた言葉を紡ぐ飛火野裕馬(eb4891)。彼の視線の先には、潜入能力に抱えてはこの国でも指折りであろう叶朔夜(ea6769)の姿があった。
「それは、私のような忍の仕事ではありませんね。‥‥相手の心を変えようとしているんです。隠れて行く仕事じゃない」
 静かに首を振る叶。敵の本拠地にもぐりこんで情報を奪取してくる任務であれば受けられるが、相手の心を変えることは専門外である。

「心配ない‥‥俺が行ってくる。‥‥ナバーラを‥‥‥‥ちょっとばかし、歴史を変えてくる」
「それならぼくも!」
 立ち上がった氷雨絃也(ea4481)、そしてミトナの真摯な視線に‥‥アルベルトはその眼光の鋭さを変えることなく、静かに頷いた。


●戦いの終わりの後
「‥‥やれやれ、ずいぶんとこの町にも貫禄がついてきちゃったじゃないの。」
 ジュリオ軍の襲撃を受け、傷ついたザラウズの修理を終えたジョセフィーヌ・マッケンジー(ea1753)は、応急処置もいいところの町の情景を眺めて、満面の笑みを浮かべる。
 見るものによっては陰惨にも見えるこの状況も、長く冒険を重ねてきた彼女にとっては悲観すべきものではない。
 なにはともあれ人は生き残って、そして再生への道を歩き始めているのだ。
 ネガティヴな気持ちから何か生まれるのであれば人並みに暗い顔もしようものではあるが、広い世界から目を背けて、地面ばかり見詰める趣味は生憎と彼女は持ち合わせていない。
「みんなきょうはお疲れ様。これで一応は雨風は防げそうだから‥‥残りは、明日やりましょ」
 汗を拭うザラウズの民衆に心を寄せながら、少しだけ妖艶に微笑むのはセクスアリス・ブレアー(ea1281)。
 美しい町の景観は壊れたとしても、未だ彼女には海の音と香りが、町の人たちの歓声と共に飛び込んでくる。この町にはまだ生の息吹が残っている。
「物語はまだ始まったばかりです。終焉の音色を迎えるのはまだ‥‥先」
 フィディアス・カンダクジノス(ec0135)が奏でるサーガによって、ザラウズの町に渦巻いていた大いなる混乱は、静まりつるあった。

「フン、皆のんきなことだな。‥‥この状況だ。幾ら急増の兵など集めたところで、ジュリオ・アラゴン・カスティリャ、ポルトガル‥‥この町の周囲は敵だらけだ。いつ襲撃があるかわからないぞ‥‥フン」
 落ち着きを取り戻し始めた空気が肌に合わないのか、武器を肩に携えたまま言葉を発するルシファー・パニッシュメント(eb0031)。ジョセフィーヌから受け取ったエールを一気に飲み干すと、大きく息を吐く。
「そうですわ。特にあのトマスとかいう魔術師をなんとかしませんと!」
 ルシファート共に見回りから帰ってきたクレア・エルスハイマー(ea2884)は、手に携えていたダウジングペンデュラムをバックパックにしまいこむと、エールではなく冷たい水をゴクリと飲む。
 取り戻しつつある静寂がどれほど貴重であり、そしてそれゆえどれほど壊れやすいかを冒険者は知っていた。
「だからこそ、行くんやろうな〜〜」
 あの部屋にいた以外の人間には告げることなく、この町を出て行った二名の冒険者の影をぼんやりと追いながら、頭の中の続きを紡ぐ飛火野。
 歴史を変えることなど考えたこともなかったが、自分たちは今、まさにひとつの国・ひとつの大陸を変える流れの中にいるのだろう。
 そうでなければなかなかそんな言葉など出てこない。

「‥‥どちらにしろ、私たちは此処を守るイージスの盾になるしかないわ。たとえカスティリアがきたとしてもね」
 デモリス・クローゼ(ec0180)はカルロス二世を一瞥すると、静かな‥‥静かなその空気を肺の中へ注ぎ込んだ。
 ‥‥彼女の視界の先には、ジュリオの軍の『捕縛』に向かった船舶が、夕日を浴びて赤金色に光っていた。



<幕間・ジュリオ軍陣地近く>
「ところでトマスさん、複合魔法を使ってみてください〜〜」
「うるさい、使えんわ。あんな物好きな魔法を覚える奴など、アラゴンにいるものか。少なくとも誰かに教えた覚えはないな」
 アラゴン軍とジュリオ軍の首脳陣が顔を突き合わせ、次なる侵攻対象‥‥早い話がカスティリアを追い出すか、ザラウズを征服するかで話をしている時、その輪から(自発的なものであるか他発的なものであるかではないが、外れたシェリル・シンクレア(ea7263)とトマスは、魔法についての談義をおこなっていた。
「物好き? やっぱり覚えるのはむずかしいんですか〜?」
「複合精霊魔法は複数の精霊の力をあわせる魔法よ。どちらかが弱ければ、すべからく弱い方に合わせなければならない。‥‥完全に重なりあった時の力は凄まじいが、覚える苦労の割には実入りが少ない。それゆえ指導者も使用者も少なくなり、今ではほとんど姿も見えない。‥‥もっとも、わしのようにひとつの魔法を極めてしまった者の意見ではあるがな。そもそも、我がアラゴンにおいてはセーラ神以外の信仰は‥‥」
 トマスの長くなりそうな話を軽く流しながら、思案をめぐらせるシェリル。
 複合魔法を使うことができれば、この身体でも戦局を‥‥未来へと続く道を開けるかと思ったのだが、どうやらそううまくもいかないらしい。
「ということは、複合精霊魔法を使うためには、誰かに教えてもらわないといけないんですか〜〜」
「そんなところだ。独学でも学べないことはないが、1年や2年の研究生活は覚悟しなければならない。実際に使用できるのはジ・アースでも限られた人数しかいないだろう」

「むむむむ‥‥」
 炎砂の魔法使い、彼女の頭の中にはそんな小さな存在は、既にうつってはいなかった。

「‥‥だからこそ、そんな存在に出会ったお前たちは運命の流れに入ったといえるだろう」
 したがって、トマスが去り際につぶやいた小さな一言を、彼女は聞き取ることはなかった。


●ミテーナ村付近
「いいか、深追いはしなくていい。これはあくまで牽制である。カラトバ騎士団も満足な補給なしにいつまでも駐留することなどできない。小刻みに攻撃を仕掛け、常に圧力をかけ続けるのだ」
「‥‥世界最強の騎士団相手に、無茶を言ってくれる」
 エンリケから飛ばされたあまりにも簡潔な指示に、実際に現場を指揮する裂罅烏藍(ec0171)は軽く溜息を漏らす。
 合理的な戦法を選択するということと、楽な戦いになるというのはまったく別の問題だ。
 生存確率をあげることはできるかもしれないが、それだけ苦しい戦いを長く続けなければならない。
 
「全員訓練を思い出せ! 陣を乱すな、乱戦は命を短くする。自分が組織の一部であるということを考えろ!」
 叫ぶ裂罅。これまでは放っておいても膠着する戦線を切り崩すことに躍起になったが、今度は逆だ。
 兵士の士気はそこまで低くはないが、乱戦に持ち込まれて勝機はない。
「槍を構えろ、敵の騎馬突撃を恐れるな! 我らは既に優位を獲得している!」


「‥‥この戦い、長引きそうですね」
 遠く聞こえる裂罅の声を聞きながらエンリケの隣に立ち、呟くオルト・リン。
「イスパニアのために適切な采配をお願いしたいのですが」
「カラトバ騎士団と正面から戦って勝てるのなら苦労はしない。‥‥ここはナバーラの領だ。下手な策は練らず、正攻法が一番いい」
「‥‥正攻法‥‥ですか。補給部隊を襲うことがですか」
 戦場に出てから時間がたったからか、少し髪が伸び、チクチクする頭を撫でて、眼下の景色を眺めるオルト。
 なるほど、イラムスとは同じ国の指揮官とはいえ、水と油。撤退時にトラップを仕掛ける軍師の名に恥じず、慎重な戦法がお好きらしい。
「相手もこちらのことくらいお見通しでしょう。崩されたらどうするのです?」
「崩せはしないさ‥‥この戦いの結末は、既に決まっているのだ」
 賢王の二ツナを持つ男の口から出た言葉は、大いなる自身を持っていたが‥‥その背面には、確かに別の感情が隠されていた。
「ところで、イラムス様の軍ですが。我らには既に脱走兵が多く、千も数はおりません、正面からカラトバ騎士団と戦う力は残されていないため‥‥」
 そんなエンリケの感情のゆれに、(少なくとも外から見れば)気付かないモーションで、本題を切り出すオルト。
 エンリケ・ジュリオ軍と合流するところまではかなったが、かといって下手に前線にもっていかれては、総崩れになることは目に見えている。
「構わない。‥‥敵軍の補給を絶ちたいのであろう。その任を負ってくれ」
「‥‥ご慧眼、感謝いたします。‥‥しかし、相手も百戦錬磨。このまま待っていてはくれないでしょう」
 オルトはエンリケへ深々と頭を下げたのであった。


●戦いとは、広がっていくように見えていつも終息に向かっているものだ
「いいか、我らはこの戦いに己の名誉を賭ける! 援軍など期待するな! 我らはすなわちペドロ一世の魂であり、力となるべき存在である。 ‥‥我に続け! 先方のジュリオ軍の包囲を破る!」
 数えること実に一ヶ月以上、膠着していた戦線をさきにきらったカラトバ騎士団団長、ディエゴ・デ・パリディアの右腕が高々と天に向けて突き上げられる。
 騎馬の足音は大地を揺るがし、そして偽りようのない脅威となって、ジュリオ軍へと迫ろうとしていた。

「全軍恐怖するな!! 槍を構えろ! 馬上の剣と槍、どちらが先に届くかなど考えるまでもない!」
「了解!」
 ジュリオ軍も大半は傭兵国家という宿命の中、国の内外で長く戦ってきた傭兵である。彼らは指揮官の声に腹を据えると、猛烈な勢いでこちらへと迫ってくる一騎の戦闘馬を見据える。
 構えるこちらの槍刃に一切躊躇することなく突っ込むその男は、今さら見るまでもない、ディエゴのそのものである。
「己の力をおごるか冒険者! 上には上がいるということ‥‥このディエゴが教えてやろう!」
 長剣で迫り来る矢を悉く弾き飛ばし、槍の切っ先を外し‥‥否、それ以上に高く、高く、まるで天馬にでも騎乗しているかのように高く跳躍したディエゴは、敵陣をかく乱させようと、馬の背に足をかける。
「ディエゴ・デ・パリディアとお見受けする! 私の名前はゼナイド・ドリュケール。相手にとって不足はない! 勝負!」
 味方槍兵の肩に足をかけ、空中でディエゴと刃を交えるゼナイド! この大陸に訪れて幾度目かわからない強敵との刃の激突。
「おごるな冒険者! このディエゴ‥‥大陸一の座を貴様などにくれてやるつもりはない!」
「それは好機だディエゴ殿! この戦いに勝てたら‥‥私も少しだけ勇気を持って前に進めそうな気がする!」
「どういう‥‥っ!」
 会話を続けることなく、正面と『下』から繰り出された攻撃を回避するディエゴ。
 ゼナイドは口元を緩めながら、尚も続けざまに‥‥味方の間を舞いでも踊るかのように縫い、ディエゴへしたたかな一撃を浴びせていく!

「甘く見るな女ァ! 我を止めることができる存在はペドロ一世のみ! その命、我が剣の前に差し出せ!」
 豪腕で取り押さえにかかった傭兵をなぎ払い、ゼナイドへ向き直るディエゴ。ゼナイドの瞳が敵の体重が右足へかかったことを捉えた瞬間‥‥彼の肩は、ゼナイドの身体を弾き飛ばしていた。

「ッ‥‥グフッ!」
「グ‥‥やるな女ァ! だが、そんなものか?」
 たったひとつの体当たりで肺の中の空気がすべて抜けきったかのような感覚に、ゼナイドは右手に握り締めた刃から鮮血を滴らせながら大地に膝をつく。早くもぼんやりとしか聞こえない耳に入ってきたのは、傷ついた脇腹を押さえようともしないディエゴの姿。
「‥‥なに、まだこれからさ。‥‥イスパニア‥‥最強の男というのも‥‥たいしたことはない」
「‥‥悪いな女、お前につきあっていられるのもどうやらここまでだ」
 剣を手に尚も立ち上がろうとするゼナイドの姿にディエゴは口元を緩めたが、やがて戦士から指揮官の表情へと変貌する。
「オオオォオオオオ!  構わぬ、このまま進め! 我らであれば破れる相手である! グラナダ軍ふぜいに戦功を奪われるな」

 絶叫と共に拳を突き上げるディエゴ。彼の声に呼応するよういに、騎馬兵はジュリオ軍を飲み込んでいく。

「その傷、もう少し深くほってさしあげます〜!」
 シェリルが放った魔法の風刃がディエゴを襲うが、敵の突撃はとまることはない。まるで『勝利の確信を得ている』かのように突撃を行なう敵軍の姿に、徐々にジュリオ軍は後退を始める。

「退却、退却だ! 不毛な戦いにこれ以上乗ってやることはない」
 裂罅の声に合わせて、退却を開始するジュリオ・アラゴン連合軍。相手の補給は塞いでいるのだ。当初の作戦通り、長く戦う必要などはない。

「‥‥こちらには敗戦を偽る達人、エンリケがついている。退却も作戦のうち‥‥といったところかジュリオ王?」
 ジュリオの騎馬の護衛役にあたりながら、戦場から後退していくゼナイド。
 やはりカラトバ騎士団はミテーナから動きたくないのか、それともこちらの伏兵を恐れているのか、追撃を行なおうとしない。

「‥‥違う。‥‥側面に備えよ! グラナダ軽騎兵如きに遅れをとるな! ここは我らの土地だ!」
 ゼナイドからかけられた言葉を中断して、周囲に防衛を命じるジュリオ。
 耳を澄ませば、先ほどの騎馬隊とは異質な‥‥イスパニア大陸唯一のアラビア教騎兵隊、グラナダ騎兵隊が姿を現す!
「ジュリオ、どうなっているんだこれは?! こちらの陣形が漏れているのか!」
「完全に漏れているわけではない。カラトバ騎士団は来ない。‥‥シェリル、すぐにアラゴン軍に連絡を。伏せていた兵をグラナダ騎士団に向けさせろ!」
 裂罅の声に端的に返答し、シェリルに命令を飛ばすジュリオ。グラナダ騎士団単体であればまだ勝負になるが、今背後からカラトバ騎士団に迫られてはひとたまりもない。


「老いたなエンリケよ‥‥我らに側面を見せるとは。あるいはジュリオ軍を見捨てたのか‥‥どちらにしろ、わしには関係のないことか」
 ゆっくりと攻撃の合図をおくるグラナダ王モハメッド6世。老齢のその身体から、僅かばかりの闘志が発揮され、騎兵隊が槍を構え‥‥静かに前進をはじめる!
 みるみる内にグラナダ騎兵隊はジュリオ軍を飲み込んでいった‥‥


●アラゴン軍・本陣
「戦況が乱れてきたようですね‥‥無理をして突撃している分、被害が大きいのは相手のようですが‥‥」
「‥‥‥‥」
 ジュリオ・アラゴン・カスティリア・グラナダの4軍が入り乱れることになった眼下の情景を眺めながら、僅かに表情を緩めるオルト。隣ではエンリケが無言で立っていた。
 撤退中の軍の側面を突かれ、カスティリア軍の大勝利かと思われた戦局であったが、さらに伏せていたアラゴン軍がそこを急襲。戦いはいつしか消耗戦の様相を呈していた。
 
「カスティリアは、我が軍の陣形を有る程度知っていたようだな」
 ボソボソと、ほとんど聞こえないような声で呟きながら、羊皮紙に何かを記すエンリケ。混乱しているのか、筆記具を持つ指は小刻みに震えていた。
「‥‥戦いにおいて情報は致命的なものとなります。これも直前で配置を変えた我が主、イラムス様の‥‥」
「エンリケ様に伝令! 我が軍は優勢ですが、痛み分け以上にはならずこれ以上の戦いは無意味です。‥‥即座に撤退の指令を! 敵軍も追ってはこれない。此処に留まる理由もありません」
 オルトの声を遮り、先ほどの援軍要せに続いて息を切らしながら、本陣にやってきたシェリル。報告の最中に彼女が向けた視線の先には、既に廃墟としての姿もとどめていないミテーナ村がかすかにうつっていた。

「我らアラゴン王国の名誉のため、ここは攻めるべきところであろう。カラトバ騎士団とグラナダ騎兵隊を撤退させる功績、我に与えられる名誉にふさわしい!」
「‥‥それでしたら、ナバーラ軍だけでも撤退を開始いたします。後のことは、どうぞご自由に」
 とんでもないと首を振るイラムスに、厳しい眼光で食い下がるシェリル。戦いの先になにを見出そうとしているのかは知らないが、死ぬことを恐れぬ者たち、勇気有る、ここまでジュリオと冒険者達にしたがってきた兵士たちを見捨てることなど断じてできない。
「貴様! たかが弱小ナバーラの、名代程度の分際でこのイラムスにたてつくか?!」
「そんなことは問題ではありません! これ以上は無意味であるから退くと言っているのです。こちらは指揮権限を預けられてこちらにきています。エンリケ様以外と話をするつもりはありません!」
 一歩も引き下がらないシェリルの迫力に押されたのか、イラムスはたじろいでエンリケを見る。
「なんと無礼な! ‥‥ほら、エンリケ殿も黙っていないで何か言ってくれ。エン‥‥」
「‥‥すぐにクレリックを、トマス殿を呼んできてください! これは‥‥毒にやられている!」
 イラムスの身体を弾き飛ばし、叫ぶオルト。彼の声が響き終わった時‥‥エンリケは、『全軍アラゴン王国内へ撤退』と書かれた羊皮紙を手に、ガクリとその場に‥‥崩れ落ちた。

「トマスはここにはいない! 撤退だ、撤退ーー!!!」
「待ってください

 間髪入れることなく、イラムスの声が轟く。
 アラゴン軍は、冒険者では唯一オルトと共に、バルセロナへと撤退していった。